半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

この緑はいつまで…?

2011年06月13日 21時03分20秒 | よもやま話

こんばんは、半次郎です。

梅雨空が余計にそう思わせるのか分かりませんが、何となく憂鬱な気分です。
この鮮やかな木々の緑は、いつまで保つのだろう?などと考えてしまって…。

木々の緑だけでなく、蒼い海や空、美しい鳥の囀り、そして笑顔で遊ぶ子ら。
そんな当たり前の風景の中に身を置くと、この光景がいつまで見られるのか、いつまで続いてくれるのかと心配になります。

心配しても、なるようにしかならないのだけれど、少しでも、この星を継ぐ者たちに、綺麗なものを残して上げたいなどと思ったりして…。

『釣りは勿論、海水浴は出来ません。』
『ピクニックは論外です。』
『建物から外に出ることは禁止です。』
…などといった制約が、今夏、東北地方ではありそうです。

いや、関東だって同じこと。
関東地方の葉物野菜は、既に基準値以上の放射能に汚染されています。
半次郎の住む千葉の大気も、首都東京の大気も汚染されています。
埼玉や群馬も同じです。

太平洋側で獲れた海産物は、食べる気になりません。

一体、どうなってしまうのだろう?

TVでは、そろそろ悲観的な見通しが報道されるようになりました。
半次郎は、あまりに楽観的過ぎる報道には、嘘が含まれているとしか思えなくなりました。

いっそのこと、思いっきり悲観的な見通しを伝えてくれるTV局が現れないものでしょうか?

それでも日本人はパニックにはなりません。
暴動は起きません。

ただ静かに、声を上げず涙を流すのみ。

日本人は、そういう民族なのです。

政治家の皆さん、これ以上、私たちを悲しませないで下さい。

政治の被災者(犠牲者)になりそうな気がして…。

from 半次郎



最新の画像もっと見る

1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
childish (noga)
2011-06-13 23:08:31
言語は考えるための道具である。
英語は、高度の考えを編み出すために適した言語である。
英米人の高等教育は、子供には学習が難しい彼らの国語 (英語) 教育である。

我が国には、英米流の高等教育は存在しない。
修業年限を英米と同じにするなどの教育制度の確立だけでは、高度な職業人を育成することは難しい。
我が国では最初から最後まで行われている丸暗記 (rote memory) と受け売り (regurgitation) の修行では、自らを決することが難しい。
これを「教養がない (uneducated)」という。子供のような状態かな、赤子かな。

自らを決することのできない人たちには、論点を定めることができない。
自分の意見を大声で言う、
相手をこき下ろす、
相手がしゃべっている最中に反対意見を言うなど、「議論をすれば、喧嘩になります」という事態が事実になる。

議論と無礼は同等と見なされているのかもしれない。
だから、礼儀正しい日本人は誰も議論をしたがらない。
いつも静かに笑っている。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、もって万世のために太平の世を開かんと欲するのみである。

少しおかしくはありませんか。
自分に必要なものを、自分自ら手に入れるのが大人の態度でしょう。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

返信する

post a comment