半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

喜ぶ顔が見たいから…

2008年10月09日 17時47分59秒 | よもやま話
こんばんは、半次郎です。

連日のように、凶悪な事件が報道されています。
それも、日本列島至るところで起きています。

何かが変わったとしか思えません。
国か、教育か?
地域の大人か、子ども達の精神構造か?
結局、それが何に拠るのか真実のところは分かりません。
一歩家の外に出たら、警戒しながら歩くのが当たり前のような…嫌な世の中になったものです。

そんな世の中ですが、他人を喜ばせるのが好きな人も、意外にたくさんいるのではないでしょうか?
いや、こんな時代だからこそ、他人に喜んでもらえることが我が身の幸せなのかも知れません。

綺麗な花を飾ったり、素敵な言葉を話したり、自分のためというより、目にする人、耳にする人に快い思いを届けるために習っている人がいます。

半次郎は、人間は全てサービス業だと思っています。
どんな職業であっても、相手に対する心遣いを欠いては上手く行きません。

医師も教師も政治家もスーパーの店員も、みんな対応すべき相手が居て、その人たちにサービスする訳です。

一体、何のために?

仕事を上手くやり遂げるという打算的な目的だけではなく、みんな誰かの喜ぶ顔が見たいからなんだと…、そんな風に思っています。

もし今、誰かを悲しませることを考えている人がいたら、どうか思い直して欲しいと願っています。

from 半次郎


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2 Comments

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こんばんはです (せいや)
2008-10-09 20:41:27
子供の殺害とかや最近では老婆とかの殺害も増えてきましたね。
昔なら親や子供も殺すなんて考えられなかったですね。
この殺害事件とかもいわゆる言葉のブームなのかな?とも考えたりします。

ブチ切れたからやったとか
誰でもよかったからやったとか
最近の犯罪事件とかはげんに人を殺害していても
殺意があったのかどうか?とか
なんか的外れというかちんぷんかんぷんみたいなもんですね。
つい最近の放火事件とかで15人?とかを殺害してるのに殺意があったのかどうか?なんてなんなんですかね?

意味のわからない種類分けとかを時代が進んでいるのにやっている法律とかもどんなもんですかね?
殺意がなかろうがげんに人は死んでいるので証拠のある殺害事件だと思うのですがね。

変な考え方をしたら凶器で殺したら殺害を適用されるけど放火だったら殺害にならないとなりかねないですからね。
生命を奪う行為は全て悪辣な殺害事件とかにしてほしいですね (´-ω-`)

少子化問題が進んでいる以上、今いる人を一人でも減らしてはいけないと思うのが当たり前だと思うのですが悪辣な犯罪事件が一向に減らないのに犯罪行為とかに目を向けない国というか代議士とかもどんなもんですかね?
代議士とかが続けざまに○○でもされない限り法は変わらないですね。
道だけを作ればいいいと考えてる無能な代議士はとっとと消えろだす (´-ω-`)
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せいやさんへ (半次郎)
2008-10-10 22:40:53
 コメント、ありがとうございます。

同感です。
殺意の有無が判決に大いに影響するであろうことは分かるのですが、事故で人を死に追いやった訳ではなく、武器を手にして、故意に致命傷となる傷を負わせたのですから、殺意があったと認定して良いと思うのですがね。
どうも、無理やり弁護しようとして、おかしな論理を展開しているような気がします。
例えば、柔道の練習中に投げた相手の打ち所が悪くて亡くなったというような場合に、“殺意なし”とし『事故』として処理されるというのなら納得します。
でも、武器を手にして明確に致命傷を与えておいて、殺意なしとはならないでしょう。
また、事件後の精神鑑定というのも理解し難く、事件を起こす前に精神鑑定し怪しい人の身柄を確保することなど出来ないのです。
その程度の鑑定でお咎めなしとなるのはどうにも理解できないのです。
そんなことで罪を問えないというのなら、誰も殺人罪にならないと思います。
人を殺すような人間が、まともな精神状態であるはずがないのですから。
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