これに近づきて而も染まらざる者をもっとも潔しとなす。
智械機巧は、知らざる者を高しとなし、
これを知りて而も用いざる者をもっとも高しとなす。
お金儲けに熱中したり、ブランド品で身を包むことに熱中したりする。
そういったことに近づかない人は、心が清いように思えるよね。
けど、そういう人達とも普通に付き合いながら、それに染まらない人こそが本当の意味での清純と言えるんだ。
相手の顔色を伺いながら、要領が良くやったり、タイミング良くやったりする。
そういったことを思もしない人の方が、人としては立派なように思えるよね。
けど、おべっかを使うやり方を知っていても、それをしない人こそが本当の意味でレベルが高い人だと言えるんだ。
個人的には、昔からずっと教訓として覚えている一文。
「その本質を知っていれば、それに惑わされることもない」というお話になります。
儒教的な解釈で、自分もそうなれる様に努力しなさいってもの大切だなと思います。
が、もっと気楽に現代風に解釈すれば、人物評価の基準と言ったところになりますね。
「勢利紛華」については、
”勢利”は利に勢されるで、お金儲けに熱中する。
”紛華”は華に紛れるで、ブランド品で身を包む。
「智械機巧」については、
”智械”は械を智るで、要領よくやる。
”機巧”は機に巧みで、タイミング良くやる。
ただし、文脈的に悪い意味でつかわれてますので、まぁ、小賢しく立ち回るって感じで解釈しました。
現代は”効率”が絶対視され、要領よくやる事、タイミング良くやる事が良しとされる時代です。
しかし、人としての価値は、そんなところにはない。
どれだけ効率よく仕事ができようと、そのうちAIに取って替わられることになります。
コンピューターから見れば、どちらも仕事が出来ない”人”でして、目くそ鼻くそを笑う状態。
そうした”人”というものの価値は、どこに有るのでしょうかという命題に対する1つの答えなのかもしれません。
心という存在、そしてそのあり方。
以上、「こんな人は、信頼できる。」というお話でした。
(。・ω・。)
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