2025年1月11日、大利根砂利線の研究につながる確認が一つできました。
羽生駅に北側にある水路(城沼落排水路または「羽生川」と呼ばれている川です)の橋梁なんですが、
ここは東側の下流側、伊勢崎線では上り側が暗渠になっていて、確認しづらい所となっています。
本日、暗くてピントが合わせづらい中、とにかく撮って自宅でデータを確認すると・・・
明らかに奥の方、つまり上り線側の下は煉瓦でできていました!!!
ということは、開通当時は現在の上り線側のみが橋梁だったということで、
これは明治36年の伊勢崎線開通から複線化された昭和2年まではこの橋梁の先で旧川俣駅方面に分岐していた、
という証拠になるのです。
(実際は羽生駅以南までが当時の複線開通して、利根川橋梁前後の羽生~川俣(群馬側)間は単線のままだったものの、
羽生駅北側から橋梁の間では一部だけ複線工事はされていた、と私は見ています)
面白いことに、羽生駅から南の方は、3つある橋梁(岩瀬落、早生田堀、金子落)の全てで煉瓦で作った橋台は現在の下り線側です。
この辺も含めて図表など資料を作成し、ホームページに掲載したいと思っています。
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