25.8.25(日)
サラリーマン転覆隊の<ママチャリお遍路1200KM>を読んで、八十八か所巡礼を発願(ほつがん:四国遍路に出ようと思い立つこと)して早4年半が経過。
当時準備した納経帳には石手寺の御朱印が押された1ページ以外はすべて空白。ずだ袋は埃をかぶり、白衣や納め札は新品のまま眠っていた。
秋が近づき、「いける日に、いける時間に、いけるだけ打とう(巡礼巡拝のこと)」と気負わず再挑戦することにした。
ママチャリではないが、時に車で、時にバイクで、気ままに。
第1回の今回は近くの第46番札所浄瑠璃寺からスタート。
<浄瑠璃寺>
行基が708年に創建。布教のために訪れた行基が本尊の薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩、眷属(けんぞく)の十二神将を刻んだ。807年に弘法大師が伽藍を修復、本尊の薬師浄瑠璃光如来にちなみ、寺号を浄瑠璃寺にした。江戸時代半ばに本尊と脇侍以外を焼失してしまうが、同時代後期に庄屋から転身して住職となった堯音が托鉢により浄財を集め、現在の本堂や大師堂を建立した。
横にある蓮池へ。
蓮の花は既に萎み、シャワーのようになっていた。
第47番札所八坂寺
<八坂寺>
寺は当初修験道の道場で、修験道の祖、役行者小角が開基。701年文武天皇の勅願により、伊予の国司越智玉興が建立。その時に八つの坂を切り開いたことから八坂寺と名付けられた。815年には弘法大師が修法し四国霊場とした。その後、紀州の熊野権現と十二社権現を勧請し祀った。熊野山八坂寺と呼ばれ、一時は、修験道の道場として境内に12坊、末寺も48か寺を擁し繁栄した。
納経帳
御影帳
納経軸
第1回四国八十八か所巡礼……第46番札所浄瑠璃寺、第47番札所八坂寺
「見事結願(けちがん:八十八か所を巡り終えること)した暁には、高野山奥の院へ再び…」と決意を新たにするのであった。