急に4日間の休みができたので
がっつりではなく、さっぱりと美味しく頂きました。
フェリーで数分で宮島口。
中はこんな感じです。
レモンいっぱいのサワーも美味しかったです。
旅に出ることに。
突然決めたので下調べもあまりせずにスタート。
旅行の覚書です。
まずは、羽田空港から飛行機で広島空港へ。
そこからレンタカーで宮島へ。
8時台の飛行機で11時過ぎには宮島口にいましたので、乗り換えなどいろいろ大変ではありますが、やっぱり新幹線より早い。
レンタカーOKならおすすめなルート。
空はあいにくの雨模様。
フェリーに乗って厳島神社へ向かいます。
ちょうど昼時。
かきめしもあなごめしも食べたい。
でも、あんまりたくさんは食べられないし。
こちらで。
がっつりではなく、さっぱりと美味しく頂きました。
外へ出たら豪雨。
雨の中、お社を周りましたがとにかく雨がひどくて近くのカフェで小休止。
宮島は本当に欧米からの観光客の方で賑わっていて、こちらのカフェもゆっくりとお茶を楽しむ海外の方がたくさん。
フランス語やイタリア語が聞こえる。。
セコセコ慌てて観光する我が身がアホらしくなったりして。(笑)
ここは何処?まるで海外です。
ミルクティー美味しかったです。
雨も止みましたのでお散歩。
この日は干潮は早朝だけなので
鳥居には近寄れず。
晴れただけラッキー
焼きガキもバカうま。
地ビールも購入。
宮島満喫
フェリーで数分で宮島口。
早めに広島市内に戻り
ホテルに車を預けて
平和記念公園へ。
初めて見る原爆ドーム
大正4年 チェコ人の建築家によって建てられた広島県物産陳列館とのことで、よくよく眺めるとゴージャスなファザードの痕跡が見られます。
建物好きとはいえ、
これまでこのドームをそういう目線で見たことがなかった。。
当時はどんな賑わいだったのかしら。
そして、公園内にあるレストハウス。
昭和ヒトケタ建物に目がない私は釘付け。
昭和4年に大正呉服店として建築された当時最先端の洋館。
建築家増田清氏は耐震建築の先駆けと呼ばれた方とのことで、同時期に広島市内に何件かの建物を設計されています。
現在公園のレストハウスとして活用されているこの建物は、被曝当時、燃料会館として使われていたとのこと。
爆心地であった島医院からも近く、建物内にいたほとんどの方は亡くなったそうですが、たまたま資料を取りに地下室に行っていた方1人だけが生き残られたそうです。
レストハウス内には詳しい解説展示や地下室の遺構も残されており、この日、原爆資料館に行くにはちょっと時間が足りなかった我々には拝見するにはちょうど良い施設でした。
中はこんな感じです。
広島の戦前の繁栄と被曝と。
人々の生活が一瞬で吹き飛んでしまった様子に既に胸が痛む。。
公園を散策しながら原爆ドームを拝見し、
広島の繁華街に向かいました。
賑やかで何でも揃う大きな地方都市。
大きな川が流れ、チンチン電車が走り、
空が広く、遠くに山が見える。
とても住みやすそうで気持ちよい街並みです。
ぶらぶらとお散歩して
お腹も空いたので
やっぱり広島はお好み焼き?
というわけで、お好み焼き村に行ってみたものの、雑居ビルの中の独特な雰囲気と外国人の多さに圧倒され断念。
結局、繁盛していそうな路面店に。
イカ天そば入り牡蠣トッピング焼きを美味しく頂きました。
お好み焼き以外にも広島名物食べてみたいと立ち寄った2軒目。久々のハシゴ。(笑)
もうそこそこお腹いっぱいなのに
どこの店にも「がんす」なるものがあって
何なのか気になって立ち寄りました。
これが、「がんす」食べかけごめん。
レモンいっぱいのサワーも美味しかったです。
広島のタコまで頂き満腹でホテルに帰還。
1日目終了。
続く。
確認が遅くなり失礼しました。
ご指摘のとおり
原病院ではなく→島病院が正しいです。
教えてくださりありがとうございました。
修正いたしました。
リンクも拝見いたしました。
詳細な記事興味深く拝見いたしました。
大変勉強になりました。
ありがとうございました。
丁寧に見学され記事にされていますが、
記述ミス?
爆心地は原病院ではなく島病院です。
わたしも頁を編集していますから
http://masuda901.web.fc2.com/page2ax04.html