映画館で号泣したのも久々。
観賞後、友人とランチビールを飲みながら
映画の感想を熱く熱く語り合ったのも久々。
麒麟さえ捨て置いて3日間かけて長文の感想を書いたのも久々。
記事上げ寸前で、記事が全文ぶっ飛んでしまったのも久々。
…というわけで、失意のどん底におりました。
他にも課題を抱えており、書き直すのはちょっと無理…でも何も残さないというのはもったいない映画。
簡単にではありますが、頑張って書くぞ!
公式冒頭の
「大丈夫、あなたはひとりじゃない」
ってどういう意味なのか。
最初は助けてくれる人
心配してくれる人
手を差し伸べてくれる人が必ずいるよ
…って意味なのかなと思ったのですが、
観ているうちに、別の意味もあるのではないかと思いました。
私にとっては、どちらかというともうひとつの意味の方がしっくり来た感じです。
人生、どう転んでも結構しんどくて。
もちろん、子育て真っ只中の閉塞感。
うんうん。
わかっているんだけど、もやもやして
追い詰められていく感じ。
取り残されていく感じ。
どこにも行けない感じ。
誰のせいにも出来ない、正論で追い詰められる感じに似ているかなぁー。
確かにしんどい。
とはいえ、
その苦しさってどう生きてもあるのかもと
思ったりしています。
他の生き方を選んだとしても。
どんな立場であったとしても。
ジヨン母がジヨンの症状を目の当たりにするシーン。
ジヨン、ジヨン母、ジヨン祖母
彼女たちの想いが繋がっていることに号泣。
ジヨン母、ジヨン祖母。
心を病むことはなくとも心の奥底に澱のように沈澱させていた何かがジヨンを通して浮いてきた感じ。
愛娘がそのドロドロの澱の中で苦しむ姿を見て、胸が痛まない親はいないわけで。
そりゃ泣きますよ。
きっと、母も祖母もドロドロに折り合いをつけながらそっと沈澱させて上澄みだけをみて暮らしてきたのかも。
多くの人はそうやってなんとなくやり過ごして生きているけれど、誰の心の中にも多かれ少なかれドロドロはあって、沈澱する間なく、もしくは沈澱していたとしても、何かの拍子に激しくぐるぐるかき混ぜられてしまうと、ドロドロの中で息が出来なくなってしまうのかもしれない。
そうしたらやっぱり、洗濯ネットみたいな何か掃除する道具や、掃除を手伝ってくれる人や、スイッチを押してくれるだけでもいい。
「何か」が必要になる時があるのではないか。
それは、家族であったり、友人であったり、医師であったり、人それぞれで。
何でも使えるものを使えばいい。
と思ったりしました。
この映画に出てくる人物。
ごくごく一般的な、むしろ社会的には恵まれてる人々でしょうか。
それでも、セクハラだったりパワハラだったり、モラハラだったり、ハラスメントのオンパレードの中でキリキリしながら生きている。
「大丈夫、あなたはひとりじゃない」
のもうひとつの意は、
ドロドロを抱えているのはあなたひとりじゃない
ってことなんじゃないかと思ったのでした。
みんな辛いんだから、
ちょっと人に配慮する気持ちを持ってみたらどうだろう。
もっと弱音を吐きやすい世の中になったらいいのに。
そんなに頑張らなくても肩の力を抜いて
もっとのほほんと生きてもいいんじゃないですかね。
なんてことを思いました。
SNSからいろいろなものが溢れ出しているこの時代。
心をかき回されるくらいなら見ないという選択もあり。
ドロドロが澱になって沈澱するのをじっと待って、洗濯ネットで一網打尽。
そんな生き方もよいかもしれない。
なんか映画の感想とは離れてしまいましたが、そんなことを考えさせられたことだけ、書き残しておきます。
とっても良かった、チョンユミ可愛い。
コンユカッコいい。
というわけで、来月は京都に一網打尽の旅に行ってきますっ!(笑)
やっぱり光秀の首塚は外せませんかねぇー
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