戦争が嫌いですが(当たり前か)戦争映画は好きなものも多いです。
だいぶ前から録画を、していましたが、
原発に関しては、どんなに便利だとしても、捨て方も捨て場所の安全性も定かでないものを作るのはどうなんだろうと思っています。
そんな私が「Fukushima50」観ました。
だいぶ前から録画を、していましたが、
内容のヘビーさが想像され、視聴に二の足を踏んでいましたが、3・11この機にようやく観る勇気がわきました。
案の定、パニック映画の映像。これが、フィクションでないのですから、観ていて怖くて胸が苦しくなり、直視できません。
その場にいなかった私でさえ、そうなのですから、本当に体験した方は、もっともっと厳しいのではないかしら。
そして、未曾有の危機に直面し、現場で必死に働く人々の姿に。
2時間ほぼ泣きっぱなしとなりました。
予想通りです。
事実を都合よく曖昧にし、ヒロイズムで脚色している…といったような厳しい声も聞かれ、作品の評価は賛否両論のようではありますが、私は観て良かったと思いましたし、大変見応えがある作品でした。
冒頭に戦争は嫌いと書きましたが、ある意味、この映画は戦争映画に似ているように感じました。
国や故郷や家族を護るために命懸けで戦う…そんな印象がそう感じさせるのだと思います。
また、地震、津波起源ではあるものの、極めて「人災」と言える危機的状況である点も、実は戦争と共通しているのではないかと思います。
もうちょっと人間が何とかすれば、「事が起きる前」に回避出来たのではないか、ということです。
観る側としては、何とか出来る権限を持った人が、何ともしない状況にイライラしつつ、
自分の意志には関係なく、「避けられず起きてしまった危機」に巻き込まれ、必死にもがき、戦う人の姿、その矜持、その「男気」(この時代にこの表現はどうかといつも思いますが、この感覚は「男気」とこれまで表現されてきたものなので、あえて「男気」で。)、その危機の中で繰り広げられる人間模様に胸を打たれるのでした。
事実や詳細や原因解明、真相究明は、事故調査機関やドキュメンタリー、報道に引き続きお任せするとして。
2011.3.11
未曾有の原発事故が起きたこと。
そこで働く人々の多くが、命懸けで被害を最小限に止めるために力を尽くしたこと。
まだ、故郷に帰れない人々がいること。
原子炉を廃炉にするためには、まだまだ時間も労力もお金もかかるのだということ。
他にも原子炉があるのだということ。
そういうことを感情的な記憶、
心に刻んでおくために、必要な映画のように思いました。
俳優陣の熱演にも拍手。
ガンガン暖房をかけながら、コロナ禍ゆえにガンガン換気している建物の中で、
こんなことを言うのも、何だか気が咎めますが、
東日本大震災の後、
多少暗くても、多少寒くても、大事に電気を使っていたよな。
…そんな生活も実は悪くないんじゃないかな。
そんなことを思ったりしています。
物質的に豊かな世界は、少なからず代償が伴うものだということを忘れないようにしないと。
あの日、必死に護ってくれた方の努力の上に、今の快適な日本があることを忘れずにいたいと思います。
家に帰ったら、エアコンの室温を下げよう。
小さなことから、コツコツと。
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