Highway XXX

「たまたま」

たまに思うことだが、自分の力で成し遂げた、と思えるようなことはこれまで生きてきてどのような人でも多かれ少なかれあると思うのだが、それらはすべて完全に自分の力なのであるとは言い難く、そのように努力できた環境や、その人が生まれ持った才能など、その人が「たまたま」そのような結果を出すことができた、ということに過ぎないのではないか。

つまり、全部努力で成し遂げた、と言ってもそのように努力できるのは自分の力だけなのであり、さらに言うと、その努力できるということ自体も一種の才能であるという面がある。

まあ、それでもやはり最後は自分がどのように動くか、というところに結局は行き着くのだけれど。



何もかも自分の力なのではなく、かといって全てが他人の力なのでもない。

何もかも自分のせいなのではなく、かといって全てが他人のせいなのでもない。


「たまたま」なことを誇りすぎるのも嘆きすぎるのもあまりよくないだろう。

この世のすべては「たまたま」の産物なのだ。

人は様々な偶然が重なり「たまたま」生まれた状況や環境の下で、「たまたま」持って生まれた能力を磨きあげ、努力しながらサボりながら生きていき、そして最後は必然的に死ぬ。

「たまたま」ではないのは「死」という現象のみであるが、それも「たまたま」生まれることがなければそうなることもないため、やはり「死」すらも「たまたま」に依るのだ。


いま自分がここにいるのも、このような状況下にあるのも、こんな現在平和な日本に生まれてブログなんか書いていられるのも、自分にタマタマがあるのもないのも、全て「たまたま」なのである…。

本日(これを書いているのは金曜の朝だが)、「たまたま」の思い付きでこのような記事を書いてみて、「たまたま」このようなシャレを思い付き、「たまたま」この記事があなたの目に留まったわけである。

これは、運命的な出来事、必然なのでしょうか?



それとも、タマタマ…?
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