今回の記事では、浅田次郎の「蒼穹の昴」を紹介します。
この本は昔弓道部のとある先輩に面白いから、と勧められた本です。
この物語の主人公(?)は二人居ます。
春児(チュンル)と文秀(ウェンシウ)です。
占いの結果を百発百中で当ててきた占い師(白太太:バイタイタイ)による、「汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう」というお告げが冒頭で語られます。
そして、このお告げは糞拾いの少年、春児に与えられるのです。
春児はそのお告げを信じて懸命に生きていきます。
ですが、実はこのお告げは、嘘なのです。
「春児のことじゃ。わしはあやつに、偽りの卦(け)を立てた」
「何だって!」
文秀の背は凍えた。
「実はの。春児に昴の宿星などありはせぬ。考えてもみよ。静海の葦原に生まれ、泥濘にまみれて生きるしかないあやつに、どうして天下のお宝が得られよう。どうして老仏爺のお側など上がれよう」
文秀は長靴の踵で土を蹴った。
「なぜだ、白太太。なぜそんなことを言った。そのお告げを信じて、あいつは、あいつは…」
「じゃが、とにもかくにも生きておろうが」
と、放り出すように白太太は言った。
「本当なら、とうに死んでおる。家族もろとも、一人残らずな」
「死んでいる、って?」
「かわゆいやつじゃ。父に死なれ兄に死なれ、それでも決して笑顔を失わずに糞を拾うておった。母の病と兄と、幼い妹のために、あやつはいつも凍てついた街道を駆け回っておった。そのようにいたいけな子供に向かって、おぬしには何の夢もない、いずれ遠からずこの葦原に飢えて骸を晒すだけじゃと、一家もろとも凍え死ぬばかりじゃと、どうして言うことができようか」
思いがけぬ真実を聞いたとたん、文秀はよろめいて路上にへたりこんだ。
「本当か、白太太」
「ああ。あやつの卦には、はっきりとそう出ておった。飢寒こもごも来って溝がくを転々とし、いずれ親兄弟うち揃うて白骨を野に晒す没法子の星じゃ。…わしにはどうしても、それを言うことができなんだ」
「わからない。皇帝の早世までを老仏爺に予言した白太太が、なぜ言えなかった。俺にはわからない」
「簡単なことじゃよ、史了。あやつはそれぐらいかわゆい。黄金の寝台に眠る阿可よりも、ずっとかわゆかった。だからわしは、やむにやまれず嘘をついた。だが史了、わしは決してあやつをからかったわけではないぞ。わしは人間の力を信じておる。人間には誰しも、天上の星々をも動かす力が眠っておるのだと信じておる。だからわしは、シャーマンの掟を破って、あやつに偽りの卦を伝えた」
と、このような形です。
実は厳しい運命の元に生まれて、しかも野垂れ死ぬ運命であった春児。
しかし、「偽りのお告げ」を信じて運命を捻じ曲げて必死に生きていきます。
で、実はこの物語の一つのクライマックスの場面。
実は春児は「嘘」であることを知っていたのです。
「なあ、春児。おまえ、白太太がむかし俺に言ったことを、覚えているか」
春児はマンパオの腰に鼻をこすりつけるようにして、幾度も肯いた。
「知っているよ。忘れるものか。少爺はずっと万歳爺のお側に仕えて、宰相になるんだ」
「そうだ。俺はずっと、あの白太太のお告げを信じてきた。もう宰相にはなれないが、俺は最後まで皇上にお仕えしなければならない。それは、俺の宿命なんだ」
「お告げは、はずれたじゃないか」
「ちょっとな。だが春児、おまえのお告げは当たった。きっとおまえは、白太太の言った通り、老仏爺のお宝をみんないただける」
自分を抱きとめる春児の力の、何とたくましいことだろう。こいつはこの手で、ありもしない未来を掴み寄せてきたのだと思ったとき、文秀の胸はかっと熱くなった。
こいつは、いつか白太太が言った通り、運命を自分の力で切り開いた。偽りの占いを信じて、ありもせぬ今日という日を、とうとう造り出したのだ。
春児は、ふいに泣き止んだ。石畳に膝をついたままおそるおそる、文秀の腹を、胸を、顔を、たぐるように見上げた。
「それは、ちがうよ、少爺ー」
春児が絞り出すように言った言葉は、文秀を凍えさせた。
「ちがうよ、少爺。白太太はおいらに嘘をついた。そんなこと、はなっからわかってた。おいらがあんまり気の毒だから、白太太はお告げをめぐんでくれたんだ。おいらはずっと、おもらいをしていたから、粥や豆をめぐんでもらってたから、ちゃんとわかってたんだ。あのとき白太太は、おいらに夢をめぐんでくれた」
「春児…おまえ…」
「白太太は、一等大事なものをおいらにめぐんでくれたんだよ。豆や粥は糞になりゃおわりだけど、腹の中にずっとこなれずにあるものを、おいらにくれたんだよ。嘘だってことはわかっていたけど、夢に見るだけだって有難えから、だからおいら、ちんぽこを切ったんだ。ちんぽこもきんたまも切っちまえば、痛え分だけ本当になるまも知らねえから、だからー」
「よかったな、春児。本当になったじゃないか」
「お告げなんてそんなもんだ。運命なんて、頑張りゃいくらだって変えられるんだ。なあ、少爺、だから生きてくれよ。おいらがやったみてえに、白太太のお告げを、変えてみてくれよ」
実は私は、学生時代に問題を起こし、実家に3か月ほど帰省して精神科の病院に通ったりしていた過去があります。
今でも精神科には通っており、アリピプラゾールを毎日30㎎飲んでいます。ちなみにアリピプラゾール30㎎は結構な量です。
当時の症状は(精神科用語での)「妄想」が強く出る形であり、診断は「妄想性障害」となっています。
しかし、今後統合失調症に移行しないとも限らないため薬を飲まなくてはなりません。
で、あとから聞いた話ですが、実は私は実家で通っていた主治医の先生から、「そもそも5年生の実習をやっていくことが出来ないかもしれず、医者にはなれないかもしれない。」と言われていたらしいのです。
これは、私の母が一人でその主治医の先生に会ったときに聞いた話らしいです。
このように言われていたという話は、あとから聞きました。
当時の主治医の先生からすると、とても社会でやっていくことはできないと思われていたのでしょう。
そして私もなんとなくそれは察していました。
実際その当時、自分自身でもずっと入院しておかなくてはならないと思った時期もありました。
そのようなひどい(?)状態であったのにも関わらず、当時の主治医の先生はしっかりと接して下さり、医者になれないかもしれないというそぶりは見せませんでした。
もし「5年生の実習はやっていけない。医者にはなれない。」と直接言われていたとしたら。
それは本当に絶望してしまったかもしれません。
でも、かりそめの希望であっても、自分は医者になれる、なるしか道はもうないと思っていたので、何とか実習を経て今医者になってはいます。
さて実は私の友人に、非常に「恵まれない」ような状況の友人が居て、その友人も精神科に通っています。
その友人は主治医の先生に対して、「このような状況になったのは自分がどこで間違ったからなのか」と聞いたらしいのですが、主治医の先生は「生まれた時からこうなる運命だった」というようなことを言ったらしく、彼は希望をなくしてしまっているようです。
正直、「なんてことを言うんだ!」
と思います。
こんなこと言われたら、彼は何もする気力が無くなるだろう。そして、本当につらい時に希望をなくすような発言をされることは酷であることを、私は身をもって知っているつもりです。
何だか、何がなんやらわからなくなってきた文章ですが、私は彼に「変わってほしい」と思っています。
彼にはもっと人の力を自分の力を信じてほしい気がします。
支離滅裂ですが、読んで下さりありがとうございました。