前回ブログ記事の続きです。
93歳で関ヶ原の戦いに参戦した戦国武将、
大嶋雲八ゆかりの地、滋賀県大津市坂本へ。
残念ながら現在のところ、大嶋雲八ゆかりの
”何か”は、まだ発見(?)できていません。
かわりに大河ドラマ”麒麟が来る”の主人公、
明智光秀ゆかりの地としての話題を…。
雲八さんと明智光秀は、同時代の人物…。
同じく美濃の斎藤家に仕え、後に信長に
仕えるようになったのも同じです。
光秀ゆかりの地に行った時に、雲八さんに
関する”何か”を発見できるのではないか…?
そんな期待もあって、坂本では光秀の菩提寺
明智一族の墓のある西教寺に行きました。
前回ブログ記事では、西教寺境内に光秀と
一族の墓があることや、お寺の一室が光秀の
資料室となっていて、光秀直筆の書状など、
展示されていたことをご紹介しました。
西教寺は見どころがいっぱいです。
小堀遠州作と伝えられる江戸初期の庭など、
美しいお庭もいろいろ…。
豊臣秀吉の伏見城の旧殿の建物も
ここに移築されていました。
慶長3年に移築された「桃山御殿」と呼ばれる
豪華な客殿です。客殿をそっと覗いてみると、
古色蒼然としているものの、絢爛豪華な
桃山期の狩野派の襖絵で飾られていました。
重要文化財です。写真撮影禁止が残念…。
この「桃山御殿」は、光秀没後の建物ですが、
関ヶ原の戦いの時代まで生きた雲八さんは、
御殿の建物の中で、この襖絵を眺めたかも…。
あ…!雲八さん、絵には興味なかったか…?
では、その他の西教寺に残された、光秀さん
ゆかりのものをご紹介しましょう。
その1つ目…!西教寺の総門です。
この門は、光秀さんが築城した坂本城から
ここに移築したものと言われています。
坂本城の大手門だったと伝えられているので、
光秀さんもこの門をくぐったことでしょうね。
また、門をくぐって参道を行くと、
本堂に続く樹木に囲まれた石段があります。
2つ目はこの石段です。
この坂は”槻坂”と呼ばれ、戦国の昔から
今に、そのまま残されているものだそうです。
比叡山焼き討ち以前の西教寺を書いた
お寺の絵図にも、この坂は描かれています。
すると光秀さんもこの坂を上がったかも…!
雲八さんだってこの坂を行き来したかも…!
そして、3つ目は西教寺唐門です。
唐門からは琵琶湖の眺めが見渡せます。
光秀さんも眺めた景色でしょうか…?
さて、この唐門には麒麟の彫刻があるのです。
「ほんとだ~。よ~く見ると、麒麟がある…!」
この麒麟の彫刻、大河ドラマのタイトル
”麒麟がくる”と関係あるのでしょうか…?
ドラマの原作者さんは、この唐門を見て、
ドラマのタイトルを思いついたのかしら…?
いや、タイトルと偶然に一致したのかしら…?
そもそも”唐門に麒麟の彫刻をする”ことは、
珍しいことではなく、普通にあること…。
その時代に作られたお寺の建物なら、
どこにでもあることなのでしょうか…?
想像あるのみですね…。
”びわ湖大津光秀博覧会”のパンフレット、
表紙を見ると西教寺唐門のイラストが
描かれていました。「戦国大津、
明智光秀・煕子 二人が見た景色」
これはパンフレットに書かれた言葉です。
まだまだ坂本の街は見どころいっぱい…。
坂本の街、歴史散歩にオススメです…!
皆様もぜひ、お出かけ下さいね。