滋賀県米原市柏原にある”成菩提院”へ…。
11月3日(祝)から12日(日)まで開催される
寺宝展を見に行って来ました。
今年は、徳川家康と関ヶ原の戦いに関する
資料や寺宝が特別に公開されています。
戦国武将の禁制札や古文書が展示され、
展示品の詳しい説明も聞くことができました。
成菩提院は伝教大師が開いた古刹です。
戦国時代には、このお寺が武将たちの宿と
なった記録がいろいろと残されています。
信長が浅井長政との会見に出向いた時や
足利将軍義昭を奉じて、都に向かった時、
行きと帰りにこのお寺に宿泊していました。
また丹羽長秀、羽柴秀吉が岐阜城を
攻撃した時、宿泊した記録がありました。
秀吉は小田原征伐の時も泊まっています。
”戦国武将くつろぎの宿、成菩提IN”です。
お寺に宿泊した武将達は寺領を寄進したり、
境内の安全を保証する禁制札を建てたり、
お寺を保護したそうです。
寺宝展では、武将達による禁制札がたくさん
展示されていました。
最近注目されていることは、関ヶ原の戦いで
西軍から東軍に寝返って、東軍の勝利に
貢献した(?)武将、小早川秀秋が合戦時、
この成菩提院に宿泊したということです。
関ヶ原の戦いの前日、9月14日、それまで
大垣城にいた彼は、大垣城を出て松尾山に
陣を構えました。その晩、成菩提院に一泊…。
翌15日、戦場へ向かったと言われています。
合戦の後にも、ここに戻って宿泊したそうです。
お寺の説明によると、どうも小早川秀秋は
家康軍の放った鉄砲にビビッて、慌てて
東軍に寝返ったのではなく、戦いの前に
調略されていて、東軍に寝返っていた…。
ある時、家康の陣から、小早川の陣まで、
鉄砲の音が届くかどうか、実験したそうです。
結果的に、家康の陣から鉄砲を放っても、
その音は小早川の陣には届かなかった…。
小早川、鉄砲の音にビビッて寝返った…!
…という話は、江戸時代の創作らしいです。
さて当時の成菩提院住職は祐円さん…。
この方は家康の知恵袋として名高い僧、
天海和尚の兄弟子だったそうです。
お寺の説明によると、成菩提院は、”東軍の
寺”みたいなもの…。住職の祐円さんも、
小早川が東軍に寝返ることがわかっていた…。
しかも、住職さんが小早川の調略に関わった
可能性も十分あるという、驚きの内容でした。
それを語るのが、”成菩提院の牡丹餅”です。
関ヶ原の戦いが終わるとすぐ、祐円さんは、
家康の陣に戦勝祝いの品を届けたとか…。
大きな鉢に、たくさんの牡丹餅を盛りつけて
献上したそうです。なんと、素早い対応…!
「戦国時代、これだけの牡丹餅を作るには、
相当時間がかかりますよ。糯米を蒸して、
餡を炊くのにも、時間も手間もかかります。」
お寺さんは、「小早川秀秋の裏切りによって、
関ヶ原の戦いが1日で終わることを予測して、
タイミングよく、牡丹餅を届けたのかも…。」
…とのことでした。
なるほど…。この成菩提院は…、
”小早川秀秋うらぎりの宿、成菩提IN”かも…。
残念ながら、小早川秀秋が宿泊した当時の
建物は残されていません。現在の本堂は、
江戸末期に建て替えられたものでした。
戦国時代、武将達が宿泊した当時を偲ぶ
設計で再建されたとか…。壮大な建築です。
今回の展示品の中に、この時、”戦勝祝いの
牡丹餅を盛った、うるし塗の鉢”もありました。
”内黒外朱塗輪花形大器”、と表示され、
どことなく歴史の重みを感じる品です。
やはり気になるのは、この時の牡丹餅です。
私の推し武将、93歳という高齢で関ヶ原の
戦いに参戦した雲八さんも、家康の陣で、
お祝いの牡丹餅にありつけたのでしょうか…。
両手に牡丹餅を持ってガツガツ食べた…?
想像するだけで牡丹餅、食べたくなりました。
残念ながら、お寺の内部は写真撮影禁止…。
展示物、お寺内部は写真で紹介できません。
寺宝展期間限定の御朱印をゲットしました。
この他、寺宝展では、石田三成によるこの
地区の掟書きや家康の肖像画、関ヶ原合戦、
大阪の陣の図、重要文化財の不動明王像と
二童子像なども公開されていました。
お寺はJR柏原駅から徒歩7,8分のところ、
寺宝展期間中は臨時駐車場もあります。
”どうする家康”も関ヶ原の戦いがスタート…。
関ヶ原、どのように描かれるか楽しみです。