”雲八ねえさん”の歴史スポットめぐり

旗本大嶋家の埋蔵金伝説があった…?

93歳で関ヶ原の戦いに参戦した伝説の武将

大嶋雲八の子孫は、旗本大嶋家として続き、

江戸時代、美濃国の領主を務めていました。

 

現在の岐阜県川辺町も旗本大嶋家の

領地の一つでした。ここには昔から、

不思議な話が語り継がれていました。

 

         妙雲寺の門

 

雲八さんの子孫、大嶋のお殿様が埋めた

軍用金が、この岐阜県、川辺町周辺の

どこかに隠されている…?と、いう話です。

 

これ、徳川埋蔵金伝説みたいな話ですね。

よくある話です。でもね…。実際に埋蔵金を

発掘できた話はあまり聞いたことがない…。

仮に発掘できても、埋蔵金、誰のものに

なるのでしょうか…?その土地の所有者…?

それとも、国のものになってしまうのかな…?

 

     「徳川マイぞうきんポチ袋」

 

江戸時代、雲八さんの子孫が川辺の領主

だった時代のこと、いざ戦いとなった時に

備え、川辺の地に軍用金を埋めたそうです。

 

当然、どこに埋めたか、場所は秘密です。

でも密かに、こんな話が伝わっていました。

 

         妙雲寺の稲荷社

 

川辺町には、旗本大嶋家の菩提寺である

妙雲寺があります。妙雲寺の境内には、

お稲荷さんを祀る小さなお社があります。

 

そして妙雲寺の前には、飛騨川が流れ、

その対岸には米田富士がそびえています。

 

  妙雲寺境内から飛騨川対岸の米田富士

 

1年に1日だけ、陽の光が差し込むと、

妙雲寺境内のお稲荷さんと米田富士、

2つの陰が交わる場所ができるとか…。

その場所の地下深くに、殿様は軍用金を

埋めたのだ…。と、語り継がれていました。

 

江戸時代、ずっと平和な時代が続いたので、

この埋蔵金の話は忘れられかけていました。

ところが戦後、「戦国武将の埋蔵金発掘」が

TV番組で話題になった時期があったとか…。

地元の人たちは、この話を思い出しました。

 

         妙雲寺の門

 

そこで、地元の人たちが興味半分で、

「埋蔵金、おそらくこの辺りにある…!」

と、妙雲寺裏の竹藪周辺を掘ってみた…。

残念ながら、いくら竹藪の地下深く掘っても

埋蔵金は姿をあらわしませんでした。

 

やはり埋蔵金は伝説に過ぎなかったか…?

それとも、掘った場所が違っていたのか…?

 

        妙雲寺の千体釈迦堂

 

そのうち、川辺町の役場が移転することに…。

役場の移転に伴って、妙雲寺の稲荷社も

以前の場所から、今の場所に移されました。

 

殿様の軍用金を埋めた場所の目印は、

”妙雲寺のお稲荷さんの建物”でした。

 

 妙雲寺の大嶋家位牌堂 背後に米田富士

 

妙雲寺の稲荷社が移転しちゃったので、

軍用金を埋めた場所の目印がなくなり、

場所いっそう、わからなくなりました。

 

殿様の菩提寺、妙雲寺周辺のどこかを掘ると、

埋蔵金、大判小判がざっくざくと出てくる…。

夢のある話ですが永遠の謎になったようです。

 

    妙雲寺の墓地にあった立札

 

また、地元の人から、こんな話も聞きました。

「殿様のお墓のあたりをきれいにお掃除して、

お墓にお参りすると、幸運に恵まれる…。」

 

この話を聞いて、殿様がここに埋めたのは、

お金じゃなくて、領民の幸せを願う気持ち…。

”世の中の平和”とか、”この地の繁栄”とか、

ここに暮らす人の幸せを願う気持ち”だった

かもしれないなぁ~、そんなことを思いました。

 

      雲八さんの子孫の肖像画

 

そういえば…、妙雲寺には江戸初期の領主、

大嶋家のお殿様の肖像画が残されています。

雲八さんの息子さんか、孫さんだとのこと…。

肖像画には、やはり弓が描かれていました。

 

川辺町の妙雲寺には、機会があれば

もう一度行ってみたいと思っています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅行」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事