”雲八ねえさん”の歴史スポットめぐり

元旦の大発見、雲八さんの大ニュース…!

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。

 

今年は元旦早々、私の推し戦国武将(?)

93歳で関ケ原の戦いに参戦したという

大嶋雲八に関して、びっくりするような

大発見がありました。

 

 

93歳で関ケ原の戦いに参戦した伝説の

武将、大嶋雲八は、本当にそんな高齢で、

関ケ原の戦いで戦ったのでしょうか…?

 

実際に関ケ原で戦っていたなら、どこで

どのように戦っていたのでしょうか…?

”雲八さんが関ヶ原でどう戦ったか”に関して、

文献は、いまだに見つかっていませんでした。

 

 

雲八さんが主人公の歴史小説、”93歳の

関ヶ原”では、雲八さんは関ケ原に行く前、

大垣城で戦っているうち、”関ケ原での

戦い”は、あっけなく終わってしまった。

 

雲八さんの”大垣城での戦い”の様子も、

ちょっと残念な感じで書かれていました。

雲八さんは関ケ原に行っていなかった…?

これはどのような資料に基づいて書かれた

のでしょうか…?それともフィクション…?

 

 

私は以前からず~っとこれに興味があり、

いろいろ調べていましたが、それを記す

古文書は見たことがありませんでした。

マイナー武将は本当に資料が少ないです。

 

ところが2025年、元旦、私の実家で

関市の文化財保護センターから送られた

書類を見ていて、ついに発見しました…!

 

 

結論から申し上げます。ここに光義とある

雲八さん、実際に関ケ原に行っています。

 

「光義、家康とともに小山から関ケ原へ。

9月15日合戦、弓足軽を率いて備えた。」

家康本隊に属していたのでしょうか…?

 

 

「長年、美濃で活躍した武将たちは、

小山から関ヶ原へ移動する道中、家康に

毎夜召しだされ、関ケ原近辺の地の利や

河川の深浅などを詳しく家康に伝えた。」

なるほど、雲八さんも美濃の武将として、

地元の情報提供に貢献したらしいです。

 

活字化されていても、江戸時代の文章、

正確に読み取ることはできないですが、

なんとなく、このように書かれている

ような気がします。

 

 

この文章は江戸時代に編纂され、大嶋家に

伝わる系図「大嶋之系譜」の中に書かれて

いたものです。「大嶋之系譜」の原本は

一昨年、関市に寄贈され研究がスタート…。

 

原本は江戸時代に筆で書かれたものです。

それを関市文化財保護センターの学芸員の

方々が活字化し、昨年末に完成しました。

 

 

実は文化財保護センターの学芸員さんに

「活字化が完成したら、見せてください。

と、前々からお願いしてあったのです。

 

12月になって私に、サンタさんからの

プレゼントみたいに、冊子が届きました。

「大嶋之系譜」を活字化したコピーでした。

 

 

すぐに目を通したかったのですが、年末は

ギリギリまで仕事があったし、家の大掃除、

実家の大掃除の手伝い、おせち料理の準備。

 

主婦はいろいろ忙しくて、送られてきた

書類に目を通すゆとりがなかったです。

 

 

12月31日、実家大掃除のどさくさに紛れ

実家の片隅に”雲八さんコーナー”を作成…。

 

元旦、やっと時間のゆとりができたので、

まず、関ケ原の戦いが書かれている箇所を

読んでみました。 何々…?  「9月15日

関ヶ原御合戦の時、光義(雲八さん)弓

足軽を引率して備え」 これですね…!

 

 

ついに見つけました…!

”雲八さんの関ケ原”を語る資料…!

 

不思議なことに、この「大嶋之系譜」の

関ヶ原の箇所は、2023年雲八さんの

供養祭で公開され、私も見ていました。

 

 

写真を撮って、なんと2023年の8月、

供養祭のブログにもUPしていたのです…!

 

さすがに今日まで気が付かなかった…。

江戸時代に筆で書かれた文字は読み取るのが

難しい…。歴史マニアさんが集まりましたが、

誰一人、気が付かなかったみたいでした。

 

 

まさか、自分のブログにUPしていたとは…!

驚きです。まさに”灯台下暗し”でしたね。

 

実に長い間、あきらめず探していましたが

今回、やっと見つけることができました。

 

 

この「大嶋之系譜」は2月2日まで関市、

”関鍛冶伝承館”にて、展示されています。

初公開となります。初公開と言えば…。

 

大雲寺所蔵の雲八さんの肖像画もそうです。

長い間、行方不明になっていたのですが、

最近になって、やっと発見されたそうです。

 

 

この2つが公開され、本当に嬉しいです。

それにしても活字化してくださった、関市

文化財保護センターの皆様に本当に感謝です。

 

長い間、努力したことはきっと報われる…。

そんな思いを抱いた2025元旦でした。

コメント一覧

hatamotoooshimake52
>soranoao さんへ
>こんにちは。今回の記事は、誰も興味ないかな~と思いながら、力をこめて書きました。マニアック過ぎる(?)推し活ブログを見て下さりありがとうございます。ますます雲八さんのPR頑張ります。
soranoao
すごいですね!
これからも推し活頑張ってください。どんどん深くなる世界が面白いです!
hatamotoooshimake52
>chisei さんへ
>こんにちわ。
古い時代のものを熟知されているかたからの「すばらしい資料」とのお言葉、嬉しいです。
私は古文書は全く読めないのでうらやましいです。
chisei
こんにちわ。
すばらしい資料が出ましたね。
「大嶋之系譜」は、とてもしっかりとした書体で記述されていて、信頼度の高いものだと思います。
写真でちらっと見たら、文禄の役では秀吉に従って名護屋まで行っているのですね。
まさに歴戦の老将です。
関鍛冶伝承館へ、実物を見に行きたいと思います。
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