3月3日雛祭りの日、月に一度の”戦国武将
カフェ”を”戦国姫カフェ”としてオープン…。
いや、”ホンモノのカフェ”じゃないですよ。
我が家でやってる”カフェごっこ”なんです。
前回ブログ記事では、”戦国の姫デザート”を
紹介しました。”玉泉院永姫のスイーツ”です。
「じゃぁ、その日のメイン料理は何…?」
…と、尋ねられました。実はその日のメインは、
”加賀百万石のひな祭りの治部煮”でした。
加賀百万石の前田家に嫁いだ永姫さんの
スイーツに合わせて、メイン料理も前田家の
伝統的なおもてなし料理、治部煮にしました。
(この写真は2月に作った治部煮です。)
片栗粉をまぶした鴨、人参、春菊、生椎茸、
それに”すだれ麩”を入れて、じぶじぶ煮る…。
これが正統派の加賀料理、”治部煮”です。
我が家では、鴨をチキンに、”すだれ麩”を
揚げや花麩に変えて、作っています。
「また治部煮~?先月も治部煮だったよ~。」
…と、言われちゃいましたが、ちょっと違う…。
上の写真と下の写真を見比べて下さいね。
3月は、”ひな祭りの華やか治部煮”です。
2月は、1人分につき1個入れただけだった
梅の花麩をたくさん入れて華やかにしました。
梅は加賀前田家の家紋…。そして3月3日は、
加賀藩祖、前田利家公の命日なのです。
器も”加賀百万石”のイメージで選びました。
一応、こだわって作った季節の治部煮です。
この”治部煮”、祖母が金沢出身だったので
私の実家ではカレーやコロッケと同じくらい
定番メニュー…。月1回は登場していました。
ちなみに祖母の家は、前田家に仕えた家
だった…。まぁ、明治維新までの話ですが…。
祖母の生家では、お客さんがやって来ると
自分ちで治部煮を作ってもてなしたそうです。
我が家でも作っています。伝統的な治部煮
…と言うより、”チキンのシチュー治部煮風”
かもしれませんね。意外と簡単に作れます。
ネットで検索すれば、作り方も出てきます。
さて、話は変わって…、
岐阜県関市、岐阜百年公園にある岐阜県
博物館で、”天下人 家康と美濃の諸将”
企画展を見に行きました。その目的は…?
もしかするとこの企画展に、推し戦国武将、
93歳で関ヶ原の戦いに参戦した雲八さんが
登場しているのではないかしら…?
企画展タイトルには”家康”と”美濃の諸将”と
2つの言葉が並べられています。
雲八さん、関ヶ原の戦いでは、”家康”側の
東軍についた”美濃の諸将”なのですよね。
この企画展で、雲八さん関係の書状とか、
資料とか、展示されている可能性が…!
少し、いや、かなり期待して見に行きました。
企画展、戦国武将の書状が多く展示され、
マニア向けで、ちょっと地味な印象でした。
家康と関りの深い美濃の武将の紹介です。
おお~っ…!やっぱりありましたね~。
”大島光義”コーナーができていました…!
通称名の”大嶋雲八”じゃなくて、
”大島光義”と記載されていました。
戦国武将って度々、名前を変えているし、
親子、兄弟、親族、よく似た名前も多いし、
通称名も使うし、やっかいですね。
私としては、博物館で展示される古文書は
”大嶋雲八”となっているから”大嶋雲八”に
統一でよくないのかなぁ…?と、思います。
大嶋家は、代々”雲八”を名乗っているので
混乱を避ける意味で使っているのかしら…。
ここでは雲八さんの生年は、「1508もしくは
1521~1604」…と、記載されていました。
1521年生まれという資料があるのかも…。
でも、もし生まれたのが1521年というなら、
雲八さんは、80歳という年齢で関ヶ原の
戦いに参戦したことになりますよね。それだと
”80歳の関ヶ原”になっちゃうではないか…?
80歳説の資料、ちょっと見てみたいですね。
私が一度も見たことのない資料も発見…!
”大島雲八光義知行目録写”という資料です。
慶長5年(1600年)~6年頃のものらしい…。
雲八さんの知行を書きあげたものの写しです。
美濃の国の加茂、武儀、席田、大野などの
雲八さんの所領が記載されています。
「御加増」5000石とは、関ヶ原の合戦の
戦功により、与えられたものとされています。
資料は、ここから近い岐阜県富加町の
古寺、龍福寺に残された文書でした。
雲八さんは、関ヶ原の戦いの戦功により
加増され、知行高18000石となりました。
そのうち美濃の領地は12026石のようです。
残りは大阪の豊中にある…、と聞いています。
私の周りの”雲八さんファンクラブ(?)”の
メンバーも誰一人、この資料の存在は
知らなかったようで、ちょっとしたニュースに…!
”戦国武将の推し活(?)”を続けていると、
思いがけない発見があるようですね。