まず CVカテーテルを挿入に治療の準備が完了した私ですが 具体的な治療説明はまだ聞かされていませんでした。
(母は説明を受けていたのだと思いますが私は全く知りませんでした)
そして なんと2004年の時は
まだ私の病名が確立されていない様で
病名はリンパ腫の一部の変化しているものとされていたようです。
まず医師からは
真面目な顔で強い薬を 7クールやります。と言われました。1クールは 抗がん剤投与 休養を含めたもので それを7回繰り返すのだとか。
治療5日間→休養15日間(骨髄抑制のため)
休養の15日間で 血液の値を元の状態に近づけ また抗がん剤で叩く。その繰り返しです。
私の治療は①、②、③のグループに分かれていて
①→②→③→②→③→②→③
と言うサイクルでした。
まだ あれほど恐ろしい副作用が待っているなど 夢にも思いませんでした。 細かな説明は幼い私の記憶には残りませんでしたが薬の前は 結構覚えてしまっていました。
説明を受け 次の日。ついに始まりました。
抗がん剤は 体にかなり悪いため直ぐに排出させるため常に点滴を打ち続けます。
「ソリタt1」ってやつだったか「ソリタt3」ってのだったか....
を常に打ちます。なので本当にトイレが近くなります(@_@;)
二時間に一回はトイレですね。
そして
抗がん剤「エンドキサン」
吐き気止め「カイトリル」←注射器で打つタイプですね。
投与終了。....
あれ?辛くないぞ?
医師に聞きました。思ってたより辛くないのですが....?
医師は 優しく私には言いました。
「抗がん剤は 使用すればするほど副作用が強くなっていく傾向があるから辛くなったら直ぐに言うんだよ」と
使えば使うほど副作用が強くなる?....たまったもんじゃない(..)
看護師さんからは
コップにお水を少しずつ足していくのをイメージしてもうと分かりやすいと思うんだけど ずっと足していくといつかコップから水が溢れてしまうでしょ?その溢れたときが副作用のでる時かな。 と
幼い私は その説明で納得できました。
私は覚えていないのですがその答えに
「そのコップは大きくできないの?」など子供らしい質問をしていたようです。
最初の1クール目は ほぼ副作用がなく終了しました。
治療を終えて1週間くらいすると抗がん剤で叩かれて弱った骨髄も徐々に回復し白血球、血小板、赤血球が一定の数値まで回復すると外泊が許され家に帰ることができました。
入院の日から約3週間 外に出れませんでした。
久々に外に出た9歳の私が思ったこと。
「外の世界はこんなに輝いているんだ。」
と 嬉しくなった反面 外泊で外にでれているだけなので 数日後には またあの病室に戻らなければいけないことを思いだし悲しくもなりました。
家に帰ると 退院したのではないか?と勘違いする位 に 祖父祖母や 従妹 家族総出でお迎えしてくれました。
子供ながらに家族の温かさが
身に沁みました。
以上 初めての抗がん剤まででした。
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