敦賀茶町台場物語 その4
敦賀にはすでに台場が何ヵ所かあるが、茶町に作っている台場はこれまでのよりも何倍も大きい。海に向かってまるで鳥が翼をひろげたような形に、横に細長く石垣を築いている。中程が最も前にせり出して、そこから鈍角にやや後方へ左右に伸びている。中ほどの三間が主砲の台座になり、右翼が三十三間、左翼は四十一間も伸びている。全部で八つの砲台が据えられるという。出来上がりの台場の広さは、一、三八O坪ほどになる。右翼が少し短いのは町家にかかるからだ。
その右翼側の先端のすぐ先は庄の川の河口で、そこは洲崎(すざき)の浜と呼ばれている。川が運んできた砂が積もって、小さな岬状になって海へ突き出ている。その洲崎の浜を庭にするように荘山清兵衛の邸があり、その浜には高さ三丈の石造りの高灯籠が立っている。夜の湊になくてはならない灯籠で、享和二(一八〇二)年に荘山清兵衛が建造した。日本海側最古の灯台だと言われている。船乗りの命を守る、敦賀湊の名物の一つだ。
洲崎の対岸、庄の川河口の東の浜には、船小屋が並んでいるのが見える。和船の造船所である。五百石積や千石積などの大船を造る際にはそのつど専用の船小屋をかけるが、小船の造船小屋は瓦葺きの常小屋として建てられている。日本海側では最大の和船造船の浜だから、それも敦賀湊の名物である。
高灯籠の手前を左に折れると、茶町台場の築造現場となる。又吉はうつむきながら気の進まぬ足を無理に前へ繰り出した。その時、思いがけない声がした。
「おや、又吉さんじゃないかい、ちょいとお待ちよ」
拵えた甘さのある、芯のきつそうな女声で、又吉を呼び止める者があった。
その声だけで、又吉にはその女が誰かすぐに分かった。西浜町の材木屋のご新造で、お絹という。驚きと嫌な予感があったが、そんな思いが顔に出ないように又吉はお絹に向かい合い、軽く頭を下げた。
「これはおかみさん、朝からお参りですかい」
材木屋の女房のお絹は、朝昼晩と近所のお稲荷様へお参りを欠かさないと聞いている。今朝は洲崎にある祠へ参っていたのだろうと又吉は思った。
「何をお言いだね。朝のお参りはとうに済ませてね、今は台場を見に行った帰りさ。それにしてもどうなってるのかねぇ、ここの台場は。まだ材木の注文が来ないのだよ」
お絹は、一廻り近くも年上の又吉になれなれしく近づき、腰を捻りながら、幼女が拗ねたような顔つきで下から又吉を見やった。可愛らしさを作っているのだろうが、腹黒さがにじみ出ているので少々怖い。匂い袋を忍ばせているようだが、かなり古くなっているのか、線香じみた黴臭い香りが僅かに鼻をつく。着物も、他の大店の女房や娘たちと比べると見劣りがする。身振り口振りは派手だが、実は吝嗇でしまり屋なのかもしれない。
「はあ、 材木ですかい。まだまだ土台固めの最中ですし、その内には材木も要るでしょうけど、大砲小屋と言っても小さなものと、茶町側の入口の門くらいなものですから、家の一軒分も材木は使わないでしょうな」
又吉は、何を馬鹿なことをと言いたいのを、ようやく堪えて説明した。
「あらま、そんな事はないはずだよ。大砲や火薬を収納する立派な倉とかさ、兵隊の大きな営舎も要るんだろ? あれだけ大きな台場なら、家の何軒も建つはずだよ」
お絹は又吉が冗談を言っていると、本気で思っているらしい。
「そんな、おかみさん。普段使わない大砲みたいな物を、こんな浜の台場に置いとけませんや。大砲、砲弾、火薬などは、みんな御陣屋に保管して、いざという時に引いて来ます。それに、兵隊なんてどこにいますかね。茶町の浜の固め場は、津内と両浜から出ることに決まってますし、みんな家のある者ばかりで、兵舎なんかいりませんよ」
朝っぱらからやっかいな女にひっかかったなと、又吉は顔に出さずに嘆いた。早く現場に行かないと遅れてしまう。
「小浜から、どおーっと兵隊が来るんだろ?」
お絹は、茶町の台場に大きな建物が建てられると、頭っから信じ込んでいるようだ。欲が深いのは妙な信心と同じで、足元が見えなくなるものらしい。
「何を言いなさる、おかみさん。小浜のどこに兵隊なんぞ。みんな京の警備にかり出されておりますよ」
ものを知らないのにもほどがあると、又吉は呆れた。だが待てよ、と又吉は思う。根っからの強欲で悪知恵の働くお絹のことだ。知らない振りして又吉を掌で踊らせるつもりかもしれないのだ。下手なことは口にしない方がいい。