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敦賀茶町台場物語 その6

2021年04月04日 | 小説

敦賀茶町台場物語 その6

 

茶町の台場はその二カ月後に着工されたもので、小浜藩の兵はまだ京都におり、京都警衛の役さえも免じられたのは十一月になってからである。その間に忠義は隠居に処され、加増された一万石も没収されている。忠義のあとは忠氏(ただうじ、忠義の婿)が藩主を継ぎ、汚名返上のため幕府の新たな命を待ち、国許の固めを計っているところだ。

それをお絹は分かっていない振りをして又吉を巻き込もうとするが、その手には乗らないと又吉は静観した。

 又吉がそれ以上は関心を示さないので、お絹は作戦を変えてきた。

「そんな殺生な。この台場にかかるお金は、うちの実家が出したんじゃないか。あの時には、材木がたんと売れるからと言われたんだよ。これじゃぁ、大損じゃないか。ねぇ」と甘えた声を出した。又吉は腕にさぶいぼが出たので、後ろに隠した。

茶町台場の築造には、安政五年七月の敦賀質屋仲間からの献金二百両が充 てられている。お絹の父親もその質屋仲間に入っているが、まるで父親が一人で献金したように言う。それに、自分は何も出していないくせに儲けようと思っていたのだ。いかにも強欲なお絹らしい。

又吉にしても、こんな女の相手はごめんだが、大工が本職である以上、材木屋とは付き合いがある。又吉にまで腹を立てられてはかなわない。

「そう言えば、京の兵隊も戻ってくるし、次にはここへ派遣されるかもしれませんやね。まあ、とにかく土台が出来上がってからのことで、その内に材木の注文もあることでしようよ。わしも、土運びから解放されて、早く大工に戻りてえもんだ。その節には、またよしなに、頼みますよ」

 又吉はお絹に丁寧に頭を下げた。

 大の男に頭を下げられて、お絹の留飲も下がったようだ。

「そうだね。あたしの早とちりだったね。もう少し様子を見てみようかね。あんたが大工に戻ったら、またうちの材木を使っておくれよ。悪いようにはしないからね。頼んだよ」

 本気で自分の早とちりだと思う素直なお絹ではないことは、又吉は十分に承知している。お絹が、転んでもただでは起きないしたたかな女であることはよく分かっている。大工仲間に他の職人たちや、長屋の女たちもが噂をしている。もちろん良い噂ではない。

 又吉はこれまで、お絹の亭主との付き合いがあったので、お絹の店からも六割方ほど利用してきたが、これからはもう少し減らそうかと思った。

「へい、今後ともよしなに。それでは……」

 又吉の別れの言葉も聞かずに、お絹はすでに背を向けて歩き出していた。いかに自分のことしか考えていないかがわかる。

品を作って歩くお絹の後ろ姿を目にして、男でも女でも誰でも構わず媚を売り少しでも自分に靡かそうとする努力だけは大したもんだと感心した。言うだけなら只だ、とはよく言われる。同様に、媚びるのは只だ、へつらうのは只だ、というような商いのやり方があるのかもしれない。しかしそれでは騙し合いだ。又吉のような、自分の嘘にも他人の嘘にも傷つく者は、騙し合いの世の中では生き難い。正直者が馬鹿を見るほうがまだ落ち着ける。

お絹は、生き馬の目を抜くような生き方が性に合っているのだろうか。嘘でも何でも構わず相手を言い負かして、自分の間違いは一切認めずに生きていく。それで勝者となって嬉しいのだろうか。

いくらそれが自分の欲のためだとはいえ、お絹の執念の深さには誰も及ばない。退かれても嫌がられても自分を押し出そうとする者は、男にはたまに見かけるが女には珍しい。大抵は若い内に親兄弟などから矯正され、世間というものを分かってくれば自ずと戒めて傲慢さを抑えるものだ。ところがお絹は、よほど甘やかされて育ち、過ちを省みる謙虚さを身に着けず、気位が高く狭量な女になってしまった。生まれた家が金持ちで、そこそこの器量の娘がみんなお絹のようになる訳ではない。傍からは分からぬ何事かがお絹の身にあったのだろうか。