4歳の愛娘が、明日入園式を迎える。 これほどの素晴らしいものは二つとできないだろうと思うほど我が子を愛おしく思うのは、きっと世界中の親も同様であるはずだ。
子供をどう教育すればよいのか?教育とはなにか?を考えると、昨今の教育思想にはなんとも違和感を覚える。
様々なことが存在する社会で生きるには広く許容できる器が必要である。成長するにつれて条件が増えて人格形成は出来るものの、見方を変えれば個人の環境は狭く窮屈になるように感じる。
精神面には適正な条件を備え、視野は際限なく広く持ちたいものだが、現代は逆で外側にペタペタと華やかな条件をまとい、精神面は抑圧された、まるで中身のない人形のようである。
本来、少しずつ考え、ゆっくり成長するべき子供は、大人の早い流れの生活習慣のために、感じることも、考えることも出来ず、ただ学校の成績と、すぐに言うことを聞くことだけが評価されるために、人生の価値観もそこにしか見出せない。子供の成長には親の思想が最も大きな影響を与えると思う。
自ら判断し、決断し、行動する志を持てないならば、社会人としての自立を成すには程遠い。教育とは、自立のための基礎を養うものだと私は考える。
我が娘は、いよいよ社会人としての自立を目指し、出発点に立つ。 いつかの日に子が親となり、今のこの私の心情を抱いたときに、私の教育思想が肯定される。また同時に、私の親が、私を育てる時に抱いた迷い、後悔、自責、苦悩も浄化され、両親の過去も肯定される。更に一族の歴史も肯定できるだろう。
子が志を持って自立を目指す瞬間、それが私の自立の証明である。
母なる良き妻と両親に心から感謝する。