騒ぎすぎにもほどほどに、全く別世界・興味なしだけどね。一言発信して何の得にもならないのに、いい加減に。 9年前の記事を思い出して再度アップする。
今日のgooにあった記事をりんくしておきます。
悪口には大きなチャンスが潜んでいる(プレジデントオンライン) - goo ニュース2015年3月21日(土)12:21 PRESIDENT 2014年11月3日号 掲載
『人間の脳の、扁桃体などの感情の回路の性質に基づく、とても面白い現象がある。すなわち、「嫌い」は「好き」に近いということ。むしろ「無関心」のほうが、「好き」から一番遠い。これは、私たち自身の経験に照らしてみても、頷ける命題であろう。
昔から言われていることだが、「アンチ」は「好き」に近い。プロ野球で「アンチ巨人」の人は、実は巨人に興味がある。アンチと言いながら、ついつい、巨人戦を見てしまう。嫌いなはずの相手から目が離せないのだ。
ある人が「嫌い」だということは、つまり、それだけ関心があるということである。非難したくて仕方がない。つい、さまざまな人を相手に、その人の悪口を言ってしまう。気付いてみれば、かなりの心的エネルギーを、嫌いなはずの人に対して費やしている。
脳の仕組みから言えば、その「嫌いな人」が、嫌っている人の感情の回路にそれだけ強く刻印されているということであり、関心があるということである。それは、ほとんど、「好き」に近い。
もし、あなたが、会社や身の回りに、嫌いで仕方がない、どうしても悪口を言いたくなる人がいるとしたら、逆に、なぜそれほど関心を持つのか、自問したほうがよい。たとえば、次のような問いを、自分自身に投げかけてみてはいかがだろう?
その人の、どこが一体気になっているのだろうか?
その人が持っていて、自分が持っていないものはないか? 実は、その人の何かが、うらやましくて仕方がないのではないか?
嫉妬の感情は、混じっていないか? それを自分で認めたくないから、悪口で隠しているのではないか? 自分の中にもあって、嫌だなあと思っている何かが、その人にもあるのではないか?
嫌いで仕方がない、悪口を言いたくて仕方がない、というのは、かなりのエネルギーを使うことである。どうせエネルギーを消費するならば、少しでも建設的な方向に振り向けたほうがよい。
嫌いなはずの人の中に、実は自分が「うらやましい」と思っていることがあるのならば、自分もそれを身につけるように努力すればよい。
相手の中に、自分の中にもある嫌な点を見ているのであれば、なんとか、それを克服するようにすればよい。
誰かが嫌いでたまらないという「感情のタグ付け」を、自分自身を見つめる「メタ認知」のきっかけとして、自分が成長する原動力にすれば、それが一番よいのである。
逆に、誰かに嫌われている、いつも悪口を言われているという人は、それを、相手の自分に対する関心の表れだととらえて、ポジティヴに考えてみてはどうだろうか?
無関心よりは、「嫌い」のほうが、相手に興味を持ってもらえている。ちょっとのきっかけで、その否定的な感情が「好き」に変わるかもしれない。「嫌い」は「好き」のスタートラインなのである。
ツイッターやフェイスブックなどのソーシャル・ネットワークでも、褒められる一方ではなく、悪口も書かれる、つまりは「賛否両論」のほうが、かえって人々の間に広がりやすいという研究もある。
企業にとっては、ある商品やサービスの「アンチ」も多いというのは、逆に好きになってもらえるチャンスでもある。「アンチ」は、それだけ強い関心の表れと、積極的にとらえればよいのである。 (茂木 健一郎 写真=時事通信フォト)』
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