平方録

〝沈黙の夏〟

それにしてもセミが鳴かない。

梅雨が明けてかれこれ2週間になるというのに…
先週の2日にあった句会で反省会をしようと飲み屋に向かって歩いていた夕暮れの若宮大路でニイニイゼミの鳴き声をチラッと聞いたような気がするが、それっきりである。
このままでは〝沈黙の夏〟になっちまう。

今朝だって空に雲はなく、4時直前辺りからみるみる闇が退散して行って辺りが仄白んできたというのに、何の音も聞こえてこない。
普段の夏だと、この闇と朝の境界付近に差し掛かると待ち構えていたヒグラシたちが一斉に澄んだ鳴き声をたてて、寄せては帰す波のように大きくなったり小さくなったりを繰り返すのだが。
ヒグラシは朝だけでなくて夕方にも一斉に鳴き出すし、アブラゼミは昼下がりが最も盛んに鳴く。
テレビがまだ普及する前の時代はラジオ全盛で、NHKラジオの正午のニュースに続く「昼の憩い」という番組のあの懐かしいテーマ音楽がまたボクの夏の思い出を色濃いものにしている。

小学生のころはあのテーマ音楽を聞いた後、アブラゼミのセミ時雨を子守歌にしながら、寝冷えしないように腹巻をして昼寝をしたことを思い出す。
バスで15分ほど行ったところに母親の実家があり、海岸近くにあったこともあってよく風の通る涼しい家だった。
今のようにクーラーも扇風機も無かったが、そこの家の座敷でいとこたちと一緒に枕を並べたのが夏休みの思い出である。

この家の庭には大きなケヤキの木があって、そこに無数と言ってよいほどのアブラゼミが止まって鳴いていたのだから相当うるさかったはずだが、いやだな、うっとおしいなと思ったことは一度もないのはそれが心地よくもあったからだろうと思うのだ。
それが日本の夏というものでもあったのだ。
夜中でも開けっ放しで寝て、朝起きてみると釣った蚊帳の外側に羽化したばかりのセミが止まっているようなこともあった。

今のわが家の庭にもナンキンハゼの木が大きく枝葉を茂らせ、夏になるとそれこそアブラゼミの一大団地もかくやと思わせるほどに一枝十数匹、全体では数えきれないほどのアブラゼミが「たかって」いた。
不思議なことにそいつらが一斉に鳴き出してもうるさいとは感じず、むしろ本など読んでいる時には集中力を高める作用さえしたのだから、逆にありがたい存在でもあったのだ。
そのナンキンハゼは3年前に切ってしまった。
余りに茂り過ぎたということが最大の理由だが、切り株から立ち上がってきているひこばえを数本残して株立ち風にしているから、いずれまたセミの木として復活するかもしれない。

アブラゼミの幼虫は地中で6年暮らすのだという。
だとするとあのナンキンハゼを故郷に持つセミはあと3年生まれ続けるわけだが、地上に出てみると「故郷がない! 」ってことになってしまう。
気の毒だが致し方ない。
他にも木は植わっているのでお許し願いたいと思う。

シーンと静まり返った〝沈黙の夏〟いつまで続くんだろう。



年に一度の胃カメラの検査を受けて食道から十二指腸まで「とてもきれいです」と言われ、気分よくぶらぶら歩いて帰る途中、様々な花に目が止まった
これはカンナとオニユリ


またヤブカンゾウ見っけ


野菜の大きな花。はて?


黄色い花は西洋野菜の一種でそばにこんな実が転がっていた。鎌倉駅近くの農協直営の「レンバイ」でこの種の西洋野菜が山になって売られていて、地元はもちろん東京や横浜のレストランのシェフたちが大勢買い出しに来てる


セミは鳴かないけれどヒマワリは夏を謳歌している


路傍のまだまだ元気なアジサイ


花が終わっても絵になるのがアジサイ


見苦しいというよりボクには味わいが感じられ…
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