平方録

「寒」という希望

腕の付け根を複雑骨折して入院中の大先輩を見舞う。
新年になって初めてである。

予定通り元旦だけ外出が許され、奥さんとお嬢さんが眠る墓参りをして掃除までしてきたそうで、「働いてきちゃったよ」と嬉しそうに話してくれた。
家に寄って愛犬の頭をなで、2人のお孫さんに囲まれておせちも食べてきたそうである。
内出血していて黒ずんでいた腕先も、だいぶ血が引いたと見えて普通の皮膚の色に近くなってきた。
持病の糖尿が悪化していて骨折治療の手術が出来ず、糖尿の治療が優先されているのだが、その効果が出てきたようである。
大先輩の表情もその分、明るさを取り戻しホッとしているようにも見えた。

このまま推移すれば切断などという大事にならなくて済みそうである。
あとどのくらい時間がかかるのか分からないが、ここは我慢のしどころである。

退屈と見えて、読み古した本でいいから何か持ってきてよと言われていたので、書棚から円覚寺の横田南嶺管長の「祈りの延命十句観音経」とこれまた横田管長推薦の仏教詩人・坂村真民の随筆詩集「めぐりあいのふしぎ」という2冊を持参した。
やや抹香くさく感じられるかもしれないが、いずれも禅の教えに基づいた著作である。
禅には押しつけがましいところも、めそめそしたところもない。自分自身を見つめ、生きていくための手助けの書といったところである。

不屈の精神の持ち主の大先輩に余計なお世話かもしれないが、暇つぶしにはなるんじゃないかと思い、あえて選んでいったのである。
梅の花の便りが届く頃か、遅くとも満開になるころには退院できるといいのだが。

流れゆく大根の葉の早さかな  

高浜虚子は生の無常迅速さをこうを詠んでいる。

7日は「小寒」だったそうで、いつの間にか寒に入ってしまった。
日が沈んだ駅前で帰宅のバスを待つ間、冷たい北西の風に身を震わせられたが、三が日以降のポカポカ陽気から一転してのことだけに、ひとしお寒く感じられるのである。
寒さの底を迎え、それが「立春」に明けるまでの「寒」という季節は案外好きなのである。
寒さそのものが好きというわけではなく、もうすぐ春なのだという気持ちを抱きながら寒さに耐え、春の兆しを探しながら日々を過ごすところが良いのだ。
少なくとも、この季節には希望というものが存在する。



冬晴れの空に庭のナンキンハゼの白銀の実が映え、早朝にはハトやムクドリなど少し大きめの鳥たちが食事にやってくる。
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