毎日が日曜日の身と違って、月曜から金曜まで何がしかの予定が入っている妻は多忙なオクサマなのである。
誘ってもらったからにはありがたくお伴をしなければならない。
昔のように浮き立つ気持ちが湧いてこない、などと言っては罰あたりというものなのだ。
低いけれど入り組み、重なり合って三方を取り囲んで幕府を守ってきた鎌倉の山々にはヤマザクラがたくさんあって、遠目からはそれこそパッチワークのように見えるほどである。
吉野山には一度も行ったことはないが、それには遠く及ばないとしても、かくやだろうなぁ、と毎年春がめぐってくるのを楽しみにしているのだ。
吉野山 ころびても亦 花の中
これは柳宗悦の作だそうで、人生苦しもうが頓挫しようがすべては御仏の心、御仏の掌の内、というような意味が込められているらしい。
円覚寺の如意庵でお茶を飲んだ時に頂戴した卓上カレンダーの4月に、横田南嶺管長の筆で書かれていて知った。
パソコンの脇に置いてあるのでいつでも目が止まる。筆致と共に、味わい深い内容なのだ。
さて、ササヤブや他の植物が両脇に茂る尾根筋の細道をたどり始めると間もなく、足下が真っ白に変わる。
まさに雪道のようだが、すべて花びらである。踏んで歩くのが惜しいくらい…
ヤマザクラは他の木々に負けまいと枝を高く高く伸ばすから、山に分け入って見ると、はるか上空に花が見えるわけで、遠目から全体を眺めるほうがきれいなのである。
それでも分け入ってみる価値があるのは、驚くほど大きな幹に、これまた驚くほどに枝先を広げている株に出会えるからである。
年月を重ねて、ゴツゴツしたぶっとい幹は見事というほかなく、神々しいほどである。
1人で対峙したら、木の精に吸い込まれてしまいそうなくらい神秘的で、得体の知れない力を秘めた怖いくらいの存在でもあるのだ。
巨木というのはそれだけで価値があるのだが、これが株全体、枝先の先の先まで一杯の花を咲かせるのである。
どれほどの力なんだろうと、想像力は追いつかず、途方に暮れてしまうほどである。
足下に目を転じれば、淡い水色のタチスボスミレも群落をなして咲き誇り、ホウチャクソウも花をつけ始めている。
5月の連休あたりによく見かけるウラシマソウの妙ちくりんな花も、随分と気の早い株だと思ったが、もう咲いている。
濃い青紫色の印象的な小花を咲かせるキランソウの群落にも出会った。
これはジゴクノカマノフタという、何やら恐ろしい別名を持つ草だが、薬草として使われ、この薬草を使うと病気が治り、地獄の釜のふたも閉まってしまって追い返される、というのでつけられた名前だそうだ。
山歩きには折りたたみのアーミーナイフを持参するから、刃先を使って根鉢をくりぬくように掘り下げ、4、5株のキランソウを頂戴してきて、わが庭に移植した。
根鉢はそのままだから、多分付くだろう。
わが家ではミズヒキも赤と黄色が咲くし、ホトトギスも群落をなす。これらはどこからか飛んできたものだが、ホウチャクソウもウラシマソウもアケビもニリンソウも周囲の山から頂戴してきたものである。
そしてまた、新たな仲間を迎えたというわけである。
ヤマザクラの花びらで山道は雪が積もったように白く染まっている
白いヤマザクラの花は背景が青空だと映えて見えるのだが…
ホウチャクソウ
散り糸を前に垂らしたような奇妙奇天烈なウラシマソウ
タチスボスミレ
花びらが葉の上に散って花が咲いたよう
キランソウ
木イチゴ?
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事