目的は食事にあらずして3月31日に満開のサクラとブルームーンに送られて旅立った元知事の追悼集編纂のほぼ最終打ち合わせのため。
パソコンに集められた元知事の文章や生前親しかった人たちから寄せられた追悼文を章単位でまとめ、プリントアウトしたものをクリップで止めたものが用意されていて、それはそれで本になった時の姿がイメージできて作業は胸突き八丁を越えつつあるようだ。
知事を辞めた後のある七夕の夕に愛犬の散歩に出た奥さんとお嬢さんが突如の雷雨に見舞われ、あろうことか落雷で一瞬のうちに2人とも亡くなってしまうという悲劇に見舞われる。
その後しばらく呆然とした時が過ぎていくのだが、その時に書かれた文章も今回掲載されることになり、一部はボクも手紙を頂戴して既に読んではいたが、未知のものもたくさん含まれていて、それにパラパラ目を通したのだが、とても最後まで読めなかった。
悲嘆に暮れている大先輩を放っておくわけにもいかず、さりとてどう慰めて良いのかもわからないまま、ただ顔を出してバカ話でもしてくれば少しは気がまぎれるだろうと思って月に1度くらいのペースでお宅にお邪魔していた。
そういう形の訪問はその後もずっと同じペースで続き、老人ホームに移ってからも亡くなる直前まで続いたのだが、そういう積み重ねの中での様々な場面があれこれ一瞬のうちに蘇り、文字がにじんでしまい、胸が詰まってしまったのだ。
まだ目を通していないけれど、知事退任後に地元のロータリークラブの求めに応じて「環境問題、思いつくままに」と題した講演録も掲載されている。
この講演内容を評して編纂作業の中心を担ってくれている人から「この講演録の内容は洞察力に富み、今日的なものはもちろん、環境問題の将来的な課題にまで踏み込んだとても意欲的な内容で、こんなところにまで目を向けていたのかと思うと、かねがね大した人だとは思っていたが、まさかこれほどとは……。今さらながら驚かされます」と呆れるくらいの口調だったのがまだ目と耳に焼き付いている。
何かとてつもない人をボクたちは失ってしまったようである。
よく偉人を前に〝せめて爪の垢でも煎じて飲んだらどうか〟と言われるが、とてもそんなことでは足元にも及ばないほどで、所詮は人品骨柄すべてに於いて出来が違うんだなぁということを痛感させられるばかりであって、そういう人と少しだけ親しくさせてもらったということをもってして善しとしなければならない。
それほどまでに立派な人物が存在することを知り得たこと、しかも知り合いになれたということをもって満足するとしよう。その差は歴然とし過ぎているのだから。
追悼集は10月中旬過ぎの刊行予定。
この日の江戸はまた猛暑がぶり返していたようだ。
地下鉄銀座線の終点で降りて雷門脇の地上に出てみるとモワァ~っとした熱波が体に絡みつき、常に海風を感じて暮らしている身には気が遠くなるくらいの暑さで驚いた。
でも、こうい時亡くなった人って言うのは現世の人のためにご利益を用意しておいてくれるんですナ。
ナニって、それは今年初めてウナギを食べたんです。絶滅危惧種のウナギを!
で、気を良くして浅草寺の裏に回り千束から吉原界隈をぶらついて来ようと思ったのだが、しばらく歩くと緑の極端に少ない街中はとても歩けたものではなく途中で断念した。
仕方なく合羽橋道具街を抜け、途中で手動のゴマすり器を買い、地下鉄で上野に出てJRに乗り換えホウホウの体で帰って来た。
いやホントにあの江戸の暑さは尋常じゃありません。君子危うきに近寄らずだ。クワバラクワバラ。
浅草ぁ~
合羽橋交差点
おぉ! 道具街に出現した巨大カブトムシ
ゴマすり器ゲット
さて、今日から9月=04:53
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