僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」②

2023-06-15 09:36:49 | 小説
  岡野のぞみが十代の頃から親交を続けているのは、仕事仲間だった里帆だけだと思い込んでいたので、私はシンデレラになるよりも筒井筒を選んだ彼女の決断に首を傾げた。あのときの沢田繭子は、わがままで意地っ張りで私たちをとことん見下していた。その奔放ぶりが今でも芸能界をのらりくらりと渡り歩ける原動力なのかもしれないからこそ、堅実な男性に嫁ぐのを天秤に掛けていたことが腑に落ちない。芸能界に使い捨てにされるという危機感が、岡野のぞみに過去を振り返らせて同級生を手玉に取ったという彼女の防衛本能も理解できるけど、私は彼女がそんなに計算高い女性ではなく、年を取っても恋愛に一途な夢見る夢子ちゃんだと思っていた。だから、私や里帆と違って何の才能がなくても芸能活動が続けられたわけで、スキャンダルタレントとしてお茶の間やインターネット上での非難の対象でもあった。それなのに地元に戻って信金職員の妻に納まるのは、いくら他人の人生とはいえ素直に祝福できない。

「もうちょっと我慢すれば、業界の人と一緒になるチャンスが見つけられたんじゃない? 繭ちゃんに堅気の奥さんは似合わない気がするんだけど、やっぱいろいろと焦ってたのかな」

「だからさあ、繭子に芸能界は敷居が高すぎたんじゃないの。あの子は私たちとつるんでいた頃と全然進歩ないもん。人の話を聞かないし、うまく話を合わせられない。頭が悪いから仕方ないんだけど、あの子の場合、それを自覚していないからなおさら始末に負えないんだよね。恋人に愛想尽かされるのはあんたにも原因があるんだって私も言ってるんだけど、彼女は自分は悪くないの一点張りだからね。十代や二十代ならまだ許せるけど、いい加減目を覚ましてほしいわ」

「それなら、地元の同級生とじゃ余計に結婚は難しいんじゃないの? 男性遍歴だけで生き延びてきたタレントを嫁に迎えるなんて、相手の親も躊躇うと思うんだけど」

「繭子の話だと、むしろ好意的なんだって。テレビに出てる人は信用できるって喜んでるらしくてさ、それならうちの息子も安泰だって。あんな子でも一般人がちやほやするんだから、テレビの影響力も捨てたもんじゃないよ。まあ、いずれ彼女の本性がわかっちゃうんだけどね」

 私は岡野のぞみの本名も私生活も知らないので、彼女が昔と変わらずに負けず嫌いで何事にも自分が目立たなければ気が済まない野心家だと過大評価していた。実際には虚勢を張り続けていただけで、年齢を重ねるにつれ身の丈を知って成り上がりをあきらめてしまったようだ。バラエティ番組で場の空気も読めずに共演者に絡んでくる岡野のぞみをテレビの液晶画面越しに見るたびに、私は馬鹿な女だと蔑みながらも、世間からのバッシングの嵐を無理やり応援に変換してふてぶてしく我欲を貫こうとする彼女に、混じりけなしの潔さを感じていた。社会全体を覆う日常的な不安をあざ笑うかのように、同世代の中年タレントが恋多き女性を地で行くのは一笑に付せられない覚悟や決意が潜んでいる、と彼女の本心を深読みしてみたけど、里帆の話を聞いて買いかぶっていただけにすぎなかった。大物有名人との交際なんて長続きするはずがない、と当の本人も悟っていたなら、岡野のぞみの芸能活動は予定調和ありきでしらじらしく思えてくる。

「でもさあ、私たちのほとんどがブランド品欲しさの小遣い稼ぎや授業料の足しにって短期間で割り切っていたのに、繭子は遊ばれるのが生き甲斐って感じで楽しくやってきたんだから、肝が据わってたんじゃないかな。あの子に言わせると、名前を変えて過去の自分をリセットできたのが人生最大のチャンスだったって開き直ってるけどさ、それで満足して事務所とテレビ局のおもちゃにされ続けてるのは、傍から見ててかなり痛いわ」

「私は繭ちゃんが芸能界にしつこく食らいついていくと思ってたのに、一般人と結婚だなんてやっぱドン引きしちゃうな。あの子にもうちょっとしたたかさが備わっていたら、そこそこの有名人をたぶらかせたと思うんだけど」

「私や美優だったらそうなれたかもしれないけど、今の繭子みたいな生き方が私たちにできっこないし、適材適所ってわけにはいかないんだよね。私たちみたいに先が見通せていたら、繭子も今頃平凡な主婦なんだろうけど、あの子は身の程知らずで芸もないのに芸能界でしぶとく生き残ってる。それが身を削っているということに、いい加減気づいたんじゃないの?」

 身の程知らずを生涯貫き通してほしかった、と私は岡野のぞみの転向が憎たらしく思えてきた。他人の人生に干渉する気はないから、里帆との会話の流れも乱さなかったけど、胸のうちでは「すっげえ腰抜けじゃん」と叫んだ。二十年近くも没交渉で、たまに里帆から近況を聞くだけの関係にすぎないのに激高しているのは、私の思い描いていた岡野のぞみの将来像が覆されてしまったからだ。夢見る夢子ちゃんの行く末は玉の輿か破滅かのどちらかだ。ストーカー顔負けの猛アタックで有名人とめでたくハッピーエンドを迎えられるか、あるいはもてあそばれている我が身の行く末を悲観したあげくに犯罪や自殺を選ぶか。両極端な結末を予想していたのに、岡野のぞみは地元の同級生を夫に選んだ。素直に祝福するにはあまりにも短絡的で、私自身の性格の悪さも相まって「三流芸能人がお利口すぎるから、最近のテレビはおもしろくねえんだよ」と、声に出さない独り言はますます口汚くなってくる。

連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」①

2023-06-11 00:57:03 | 小説
 二十歳の頃の大物ミュージシャンに始まり、舞台演出家、プロ野球選手、歌舞伎役者、実業家と数々の有名人と浮名を流しては破局を繰り返してきた岡野のぞみが、芸能界を引退して地元の同級生と結婚するという話を、かつての仕事仲間の横山里帆から聞いた。演技力も歌唱力も人を笑わせる才能もないのに、高校時代から二十年近く芸能界にしがみついてこられたのは、ひとえに私生活の切り売りに徹してきたからで、そんなタレントがきっぱり足を洗って都落ちするのが果たしておめでたいのか。それが里帆からの一報を聞いたときの私の偽らざる心情で、電話越しの彼女のはしゃぎっぷりに軽い違和感を覚えた。私たちの間で多少の揶揄も込めて「出世魚」と呼んでいた岡野のぞみ。金も地位もある男性との結婚の夢が叶えられずに表舞台から消え去るのは、内助の功の素質うんぬんよりも、やはり私たちの青春時代に残した記録がたとえ芸能活動の範疇とはいえ、それを否定したがる良識派たちの助言によって歴代の恋人たちが求婚の一線を越えられなかったのでは、と私は彼らの包容力の拙劣さを情けなく思う。

 里帆は私と岡野のぞみの共通の友人で、私も彼女と面識はあったけど直接連絡を取り合うほどの間柄でもなく、芸名を変えて最初のスキャンダルが報じられるまでは、ほかの仕事仲間のようにとっくに足を洗っていると思い込んでいた。里帆との会話で岡野のぞみの話題が出る際には、今でも沢田繭子という彼女の旧芸名で通している。それが青春期のひとときを共有した私たちの不変の固有名詞で、テレビタレントとして成り上がった彼女への尊敬と嫉妬と侮蔑がごちゃ混ぜになっている証拠だ。女優にも歌手にもお笑い芸人にもなれず、番組で一緒になった有名人に接近しては懇ろになった岡野のぞみと、自らの肉体を売り物にしてきた沢田繭子を比較すると、後者のほうが誠実で清々しさを感じるから、私は里帆と旧芸名で呼び合いながら彼女の近況を知り得ている。自発的に知り得ようとは思ったことは一度もなく、いつも里帆のほうから情報を提供してくれる。芸能界引退と結婚の知らせも、ブログもSNSもやらない私なら拡散しないと高を括って、里帆が口を滑らせたのだろう。岡野のぞみは芸能界で余人をもって代えがたい存在でもないので、引退から結婚というシナリオも衝撃的なニュースバリューがあるとは思えないけど。

 私よりも里帆のほうが岡野のぞみのメディアでの露出に興味を示し、だからこそ二人は長年連絡を取り合っているのだけど、岡野のぞみから聞き出した業界の裏事情や大物タレントの性癖を私に話してくれる里帆の表情や話ぶりは、得意げにまくし立てているようでささやかな悪意が感じ取れる。元々は同じスタートラインからで、当時は里帆のほうが人気があって芸能事務所からメジャーデビューの誘いもあったのに、彼女は自らの商品価値は高校卒業までだと見切りをつけ、岡野のぞみとは別の道を歩んだ。。芸名を変えて過去を消したい岡野のぞみが今でも里帆に私生活の内情を打ち明けるのは、彼女の姐御肌気質に惹かれ続けていると推察できるけど、果たしてそれが二人の友情の証なのかどうかは、第三者の私には判断しかねる。岡野のぞみの芸能界引退と結婚を嬉々と伝える里帆の話の端々から、彼女が心から祝福しているというよりも、しょせん玉の輿に乗れる器ではなかったとの嘲りが含まれているように思えてくる。

「繭子が言うにはさあ、中学校まで一緒で、地元の信用金庫に勤めている人と一緒になるらしいよ。やっぱあの子も大した家の子じゃないから、家柄も血筋も才能も一流の人たちにはめずらしがられただけなんじゃない? いざ結婚となると、釣り合いが取れていないとわかっちゃって離れていく。でもさあ、その信用金庫の彼ってのも電撃的だよね。あの子がやけくそになってるんじゃないかって心配したけど、もう芸能界に未練はないんだって。もったいないと思うけど、逆によく今まで生き残ってこられたのが不思議よね。事務所だって大手じゃないのに」

「未練がないって話を額面どおりに受け取っちゃっていいのかな。もし地元の人と結婚しても、繭ちゃんに普通の主婦が務まるとは思えないし。あの子は芸能界のスキャンダル要員がお似合いだと思うんだよね。でもアラフォーでその役を演じ続けてるのはさすがにきついのかな。まあ、私たちにはあまり関係ないんだけど、今までが今までなだけに相手が一般人とはいえ、すんなりまとまらないんじゃないの?」

「そういえば、そうかもしんない。先週繭子と都内で会ったときに話してたんだけど、結婚してやるんだって偉そうな感じが半端なかったわ。相手の人は初婚だし、貯金も結構あるみたいなんだけど、今までの元彼と比較しちゃうと全然大したことないんだってさ。遊び好きでもなく四十近くになるまで独身で通ってきたから浮気の心配はないらしいんだけど、逆に私をやきもきさせてくれるほうが張り合いがあるって。いつも男に捨てられてきた子が何強がり言ってるの? って感じ」

「でも、その相手の人もどうして繭ちゃんと結婚する気になったんだろう? 繭ちゃんにとって十代は黒歴史のはずなのに、地元との接点を持ち続けていたのが何となく引っかかるんだけど。繭ちゃんの地元って、確か茨城のウシクってところだったよね。そんなにしょっちゅう帰ってたの?」

「私もそれが気になってるんだけど、繭子は口じゃ大物狙いを公言してても、心の奥じゃ無理だとわかっていたから保険を掛けてたんじゃないの? 相手も棚から牡丹餅っていうか、繭子にたぶらかされて結婚するんじゃないのかな。恋愛と失恋を繰り返す幼馴染みに同情してってノリで」

ひときわ異彩を放った素人モデル

2023-05-21 10:01:20 | 日記
 インターネットのオークションサイトでは、かつて僕がお世話になった写真集や雑誌グラビア、イメージビデオなどが絶えず出品されていて、そのサンプル画像を見返しながら当時を懐かしむだけでなく、頭の片隅にすっかり埋もれていた自慰用素材の記憶を呼び戻させている。中学、高校時代に数回程度しか素材に用いなかった媒体でも、それが後々の自慰遍歴に少なからぬ影響を与えたことに気づかされる。

 園田俊明という写真家が手がけたムック「女子高生水着大図鑑 おしゃまま2」(双葉社)は一九八九年の初版だが、僕はそれを所持していた覚えがある。ただ、購入時期が中学三年か高校一年かはもう忘れてしまった。同書はその名のとおり、現役女子高校生の制服姿と水着姿が収録されたもので、文庫本よりもやや大きく、「BOMB!」などのアイドル雑誌よりもやや小さいサイズだったので、大判の写真集と違って家の中で隠し持つのに最適だった。

 園田は八〇年代後半から、高校生世代の素人モデルを撮り続けていたようで、それらを収録したムックをいくつか発表している。英知出版の「すっぴん」(後にすッぴん)が創刊したのは八六年五月だが、同誌がマイナーながらも芸能プロダクションに所属しているモデルを起用するのに対して、園田のムックは本当にそこらへんにいるような素人ばかりを集めたので、数撃てば当たるという寄せ集めのコンテンツだった。

 そのため、僕が所持していた「おしゃまま2」も、帯に「少女36人一挙収録!」とやたら人数の多さを訴求していたが、モデルのほとんどは実用性を欠いていた。美少女もいるのだが、その表情や体つきが僕の性的欲求とシンクロせず、当時の僕には一人を除いて全員はずれだった。

 三十年以上前のことなので「おしゃまま2」の存在も同書でお世話になった素材も、すっかり記憶から抜けていたが、たまたまヤフオク!に出品されていた同書のサンプル画像ですぐに思い出した。藤澤慶子という撮影当時埼玉の県立高校三年生のモデルで、僕は彼女のわずか数ページのグラビアに性的想像力を存分に働かせた。それ以外のモデルを素材に用いた記憶はない。

 帯の表紙側には三人、裏表紙側には藤澤を含む六人の掲載モデルが取り上げられ、それは編集者の人選なのだろうが、僕はその九人の中で藤澤が一頭地を抜いていると思う。ビキニブラから覗える丸みを帯びた乳房と、まだ垢抜けていないワンレングスというアンバランスは、まだ成熟した女性になりきれていない少女のままで、僕の劣情をいたく掻き立てさせてくれた。

 しかも、ほかのモデルたちの水着や髪型の古臭さが否めない半面、藤澤のそれらは令和の今日にタイムスリップしてもグラビアアイドルとして十分通用するほどの性的アピールを醸し出している。素人モデルで終わってしまったのが残念な逸材だが、それもまた青春時代にしかできない貴重な経験として、藤澤自身の記憶に深く刻まれているかもしれない。

人生初の性的興味を抱いたアイドル

2023-03-14 10:17:29 | 日記
 僕の人生において、初めて性的興味を抱いたアイドルタレントは、確か伊藤美紀だったと思う。一九八六年に大手芸能プロダクションのオーディションでグランプリを受賞した伊藤は、翌年歌手としてデビュー。僕はその頃中学生になったばかりで、折を見て枕にペニスをこすりつける行為を繰り返していたが、それが自慰だという自覚はまだなかった。

 伊藤の存在を知ったのは、当時定期購読していた雑誌「ファミコン通信」(現・ファミ通)のインタビュー記事だ。伊藤の二作目のシングル「哀愁ピュセル」がゲームソフト「奇々怪々―怒涛編―」のCMソングに採用され、その宣伝を兼ねての記事だったはずだが、水着姿でもない伊藤の全身グラビアを見て、初めて年上の女性に対して性的興味を持ってしまった。これまでのアイドル歌手は、僕が小学生だったこともあってか純粋に歌を聞かせてくれる存在にすぎなかった。

 水着姿ではなかったものの、僕は伊藤のまだ不慣れなカメラ目線の表情とスカートからの下肢を交互に見比べながら射精に導いたはずだ。伊藤は松田聖子や中森明菜、小泉今日子のようなメジャーアイドル特有のオーラがなく、そこらへんにいそうなまだ擦れていない少女の佇まいだったが、それが三歳年下の僕にはたまらなく、溢れ出る性欲を発散しないわけにはいかなかった。

 しかし、実際に伊藤を自慰素材に用いたのはファミコン通信のグラビアだけで、水着姿が収録された写真集や雑誌を買う機会もないまま時間が過ぎ去った。伊藤は高校生世代のわりには立派なプロポーションで、四作品もの写真集を発表しているが、中学生の僕にとって写真集の購入は敷居が高すぎた。高校生になると、自分と同年代の少女が水着姿を披露してくれる「すッぴん」を自慰用素材に用いるようになったので、三歳年上の伊藤への性的興味も失っていった。

 高校二年の時、長渕剛主演のドラマ「しゃぼん玉」に、当時二十歳の伊藤が看護師役で出演していたが、そのときはもう彼女に対して何の性的感情も持たなくなっていた。高校生世代でなくなったのと、「すッぴん」を通じて僕の自慰対象が同学年か年下、または一学年上の少女に限定されてしまったからだ。また、少女だった頃の伊藤の水着姿を堪能するよりも、同年代の少女のほうが性的想像力が高められた。

 もし伊藤が僕と同学年か一学年上だったら、性的興味の対象として長く繋ぎ止められていたかもしれない。写真集を四作品も発表するほど、水着の仕事への拒否感はなかったようで、当時の高校生世代としては珍しくビキニ姿を惜しみなく披露しているが、いかんせん中学生の僕はそれらが掲載されたアイドル雑誌を買う金も勇気もなかった。リアルタイムでの伊藤の水着姿を自慰用素材に用いることができなかったのは、つくづく残念でならない。

マイナーより優先順位の低いメジャー

2023-02-17 00:25:23 | 日記
 佐藤仁美が大手芸能プロダクションのオーディションでグランプリを受賞したのは一九九五年で、デビューしたばかりのまだ素人っぽさを残す水着姿に、僕はぜひ彼女を自慰用素材に用いたいと思ったが、結局その機会は一度もないまま今日に至っている。性的興奮を高められる存在でありながらも、それを汚そうとしなかったのは、当時の経済的事情とほかの素材に比べて優先順位が低かったからだ。

 佐藤の写真集「Bless You…!」(近代映画社)が発売されたのは九六年八月で、その頃の僕は就職活動で忙しく、性欲に対して抑制的だった。二千円以上もする写真集どころか、お菓子系雑誌「クリーム」の八百円のムックすら買う金銭的余裕がなかった。しかも、当時は山田まりやがデビューしたばかりで、一作目の写真集を発表するという知らせにも触れたので、買うなら佐藤よりも彼女の作品だと決めていた。

 同年九月に山田の写真集が発売され、僕はそれを池袋の東武百貨店内にある旭屋書店で購入し、すぐに男子トイレに駆け込んで自慰に耽ったことを四半世紀以上経った今でもはっきり覚えている。一冊の写真集を買うことはかなりぜいたくな経済行為だったゆえ、自室に戻ってゆっくり堪能する余裕がなかったのだろう。山田の写真集を選んだことで、佐藤のそれを買う機会は遠のいた。


 それでも佐藤が気になる存在で、いつか「Bless You…!」を手に入れようと思ってはいたものの、僕の自慰用素材は九五年から九六年を境に「お菓子系」のそこらへんにいるような高校生世代の少女に傾倒していったことで、メジャーなアイドルタレントへの性的興味が急速に薄れていった。佐藤もそうだし、彼女の翌年にグランプリを受賞した深田恭子も二作目の写真集「COLORS」で水着姿を披露したが、僕はこれまで一度も素材として用いたことがない。

 ヤフオク!に出品されている佐藤のデビュー当時の画像を見返すと、胸の立体感が露わで、高校生世代に特有の健康的なエロティシズムも醸し出されていて、今さらながら素材に用いる機会がなかったことを反省することしきりだ。ただ、佐藤よりもお菓子系アイドルや山田に性的興味がどうしても集中せざるを得なかったのは、彼女たちの性的アピールのほうが粗削りで横道に逸れていたからで、オーソドックスなエロティシズムに終始する佐藤の優先順位は下がってしまった。

 自慰用素材としてはおろか、女優やバラエティとしての芸能活動についても何も綴れないが、僕の勤務先が名古屋だった九九年に、地下鉄駅のホームに掲出されている地元金融機関の広告に佐藤の見返り姿があったのを記憶している。それを目にして初めて佐藤が愛知県出身なのを知り、以来僕の中では地方銀行のイメージキャラクターは地元出身者だという思い込みを強くしている。