大手出版社が発刊する漫画誌において、現役女子高校生のオーディションが始まったのは一九九二年で、これを機に十八歳未満のグラビアアイドルのデビュー基準が緩くなった。当時は歌手デビューを果たしたアイドルが、専門誌で水着姿を披露したり、写真集を発表したりするのが一般的だったが、歌や演技の経験のないスカウトされたばかりの美少女でも、グランプリを受賞すれば所属プロダクションと出版社のバックアップで商業作品を発表できるようになった。
ただ、あくまでもこのオーディションはグラビアアイドルになるためだけの近道にすぎず、その後の芸能人生をどう歩んでいくのかは本人の適応能力と所属先のマネジメント次第だ。だから、グランプリ受賞者の中には有名女優になったのもいれば、警察の厄介になったのもいる。水着の仕事までは約束されているが、そこから先の面倒までは見てくれない。
九三年にグランプリを受賞した武田恵子は、僕も写真集を二作品所持していたほど期待値が高かったが、彼女を自慰用素材として繰り返し用いるには難があった。著しく実用性に欠ける作品ではなかったものの、せっかくの美少女の原石が先鋭的な撮影と演出によってかえって台なしになってしまったからだ。
武田のデビュー作「夏服の天使」が発表されたのは九四年七月で、当時の僕はまだ「お菓子系」を知らず、高校生世代の水着グラビアといえばもっぱら雑誌の「すッぴん」頼みだったので、同作品はまさに画期的だった。写真集というページ数も多く、じっくり被写体を堪能できる出版物で、美少女がどんな姿を見せてくれるのか、そして自慰用素材にかなうほどの仕上がりなのか、そんな期待に股間を膨らませながら表紙を開いた。
「夏服の天使」は全編を通じて暗くてシリアスな仕上がりで、僕が日頃お世話になっていた「すッぴん」のような高校生世代の明るく健康的なエロティシズムがまるっきり伝わってこなかった。武田が泣いている表情もあり、それは処女喪失を読者に連想させようとしているのだが、僕はまったく性的興奮が湧かず、白けた気持ちでそのページをめくったものだ。カメラ目線でないページが散見されていたのも、性的な感情移入を妨げた。
それでも、武田が気になる存在だったのは変わらず、翌年発表された二作目の「憧憬」も手に入れた。作風は前作と変わらず、下着姿を披露するなど大胆な仕上がりだったが、両作品に共通するのは撮り方や衣装によって武田がかなり不細工に見えてしまい、自慰の手を鈍らせた。制服のブラウスや水着のチョイスも古臭さを感じさせ、言うなれば一昔前の少女ヌード写真集のモデルに乳房と性器を隠したような見せ方で、僕の性的嗜好にマッチしなかった。
武田のグラビアをあらためて見返すと、胸も大きめでぐっとくる美少女だったことに変わりはない。しかし、少女と大人の狭間で揺れる十代後半の両作品が、作り手の独りよがりの演出によって肝心な美少女度が削がれてしまい、武田の芸能生活にも少なからぬ影響を与えたと思うと、極めて残念でならない。