僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

写真集を出してほしかった逸材~菊池あゆみ編~

2022-12-03 10:44:40 | 日記
 児童ポルノ法施行前(一九九〇年代)の自慰遍歴を振り返ると、施行後に比べて経済的余裕がなかったので、漫画誌や男性誌に掲載される数ページのグラビアでも頻繁にお世話になった。二千円以上もする写真集よりも、四百円でお釣りが返ってきて一週間借りられるアダルトビデオ(AV)で性欲を発散するのがスタンダードで、当時はアイドルの水着グラビアがAVの箸休めという、今とは逆の位置づけだった。


 だから、数ページのグラビアでも満足できたわけだが、中には写真集を出してほしかったアイドルタレントもいる。その一人が、菊池あゆみだ。菊池は九二年に大手芸能プロダクションのオーディションでグランプリを受賞。翌年には漫画誌や男性誌で水着姿を披露する。グラビアアイドルのような売り出し方ではないので、露出やポージングは極めて控えめだったが、今でも二度見しそうな一級品の美少女だったので、過度な演出がなくても僕は性的興奮を高められた。

 菊池のグラビアで最も強く印象に残っているのは、九三年七月に発売された男性誌「スコラ」だ。持田真樹が表紙の号で、六ページほど掲載された。衣装はワンピース水着にキャミソールドレスとガードが堅めだが、それでも胸の谷間と立体感が覗え、少女特有の透明感漂う菊池の表情とのアンバランスに僕はすっかり魅了され、汚さずにはいられなかった。当該号のメーンは真弓倫子のヌードだが、僕はそれにいっさい目もくれず、AVに飽きたら菊池のグラビアで下半身を熱くさせた。

 鳴り物入りでデビューしたので、大手出版社が発刊する漫画誌の巻頭グラビアを何度か飾ったが、その後は目立った芸能活動もなくフェードアウトしていった。大した結果を残せずに戦力外通告を受けた、プロ野球のドラフト一位選手みたいだが、せめて写真集を発表してくれたらよかったのに、と思えるほどの逸材だったことは間違いない。グラビアアイドルほどの恵まれた体躯ではないが、それを補って余りある抜群の美少女の表情と肢体をじっくり堪能できる出版物を残せなかったのは、大変残念なことである。

 菊池と同時にグランプリを受賞したのは、奇しくも同じ四国出身の馬渕英里何だ。馬渕もデビュー当初は水着の仕事をさせられたが、女優として成長し、今では名脇役として存在感を高めている。菊池がわずか数年で芸能界からリタイアしたのは、マネジメントをめぐる本人と所属先との齟齬があったのかもしれないが、やはり演技力やトークスキルなどの芸能界での適応能力が、四歳年下の馬渕に比べて決定的に欠けていたと思わざるを得ない。

 グラビアアイドルとしてはやや物足りない水着仕事でも僕の性的欲求を満たしてくれたが、所属先は女優やタレントとして育てていこうと、グランプリ受賞者の菊池にグラビア以外の仕事を手配した。企画段階としてはあったのかもしれないが、あれほどの美少女が写真集を発表できぬまま引退してしまったのは返す返す残念だ。

令和の美少女ビジネスのみみっちさ

2022-11-21 18:17:30 | 日記
 二〇一四年の児童ポルノ法改正を境に、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品はめっきり発表されなくなったが、当該世代の美少女モデルを抱える芸能プロダクションとその周辺では、布面積の小さい水着を着させるなど過度な露出を封印したうえで、デジタル写真集を販売したり、有料サイトを運営したりして収益を得ようとしている。

 電子書籍の普及に伴い、写真集もデジタルデータで提供しているのは時代の趨勢だ。スマートフォンに保存しておけば、いつでもどこでも見られる(自慰できる)し、大判の印刷物を周囲にばれないようこっそり隠す手間も省かれる。販売する側も印刷コストがかからず、在庫を抱える心配がない。

 近藤あさみや香月杏珠、沢村りさなど一〇年代に名を馳せたジュニアアイドルが在籍する芸能プロダクションでは、イメージビデオ(IV)が大っぴらに発表できなくなった代わりに、楽天やソニーなどの電子書籍ストアを通じてデジタル写真集を販売している。「美少女学園」というシリーズ名で、すでに二十歳を過ぎた近藤や香月のほかにも、高校生世代のまだ無名の美少女を起用している。

 ジュニアアイドル界隈ではすでに有名らしいが、僕は堀北美桜という十六歳の少女に色めき立たずにはいられなくなった。体躯は年齢相応だが、それを補って余りある美少女度の高さに、かつてのデビューしたばかりの小倉優子を彷彿させ、サンプル画像を食い入るように見てしまった。児ポ法を配慮してか、水着姿といってもスクール水着か競泳水着で、きわめて健全な演出だ。


 楽天ブックスで堀北美桜と入力して検索すると、六十六件の作品が挙がり、一作品につき千九百八十円で売られている。すべてを買い揃えると約十三万円だ。各作品とも百三十~百四十ページのボリュームだが、おそらく同じ衣装で、性的な部分が殊更に強調されていない作品に二千円もの金を払わせるとは、僕の理解の範疇を超えているが、最新の美少女を自慰用素材に用いたい消費者は文句も言わず、粛々と受け入れているのかもしれない。

 また、堀北の画像や動画は「現女子」という有料サイトでも見られるようで、月額二千円かかる。写真集やIVが発表しにくくなっているとはいえ、芸能プロダクションとその周辺のコンテンツ制作の現状とその販売方法に、どうしてもみみっちさを感じてしまうのは僕だけではないはずだ。デジタル写真集も有料サイトも、児ポ法に抵触しないぎりぎりの表現手段であることは理解できるが、それらが果たして価格と価値のバランスが取れているのかというと、僕はそうとは思えない。

 グラビアアイドルのコンテンツ制作者が児ポ法改正によって今までの仕事が全否定され、被害者意識を強くした結果が、手持ちの駒を使って楽して稼ごうとするデジタル写真集や有料サイトに表れている。元をただせば、彼らが中学生世代だった近藤や香月らに布面積の小さい水着を着させ、着エロまがいの演出をさせたことで所管官庁や人権団体から目をつけられ、高校生世代を含む3号ポルノの新作発表が途絶されたことは忘れてはならず、たとえ美少女の発掘能力に長けていても、そんな業者に金を落とすわけにはいかない。

高校生世代再来の萌芽

2022-11-05 00:42:22 | 日記
 最近のグラビアアイドル事情をネットニュースで拾い見する程度だったので、僕は今まで菊池姫奈を知らなかった。「ミスマガジン2020」の受賞者の一人で、二〇二一年には十六歳で写真集も発表。インターネット上に拡散されている菊池の水着姿の画像は「殊更に性的な部位が露出され又は強調されている」ものばかりだ。

 菊池は講談社だけでなく、ほかの大手出版社からもデジタル写真集を発表しており、不特定多数の男性の性欲処理要員として消費されている。ネット掲示板では児童ポルノ法抵触の疑義にはまったく触れられず、妄想溢れる品性下劣な書き込みで埋め尽くされている。日頃は“マスゴミ”だのと既存メディアに批判的なくせに、性的コンテンツに対しては否応なく受け入れてしまうのだから、ネット上で交わされるコミュニケーションなど所詮痰壺にすぎない。

 僕は三十年以上、高校生世代の少女の水着姿を自慰用素材に用いているので、菊池の画像を見て色めき立たないはずがない。しかし、どうして大手出版社だけが明らかに3号ポルノに相当する出版物をいけしゃあしゃあと上梓できるのか。そして、児童ポルノ法の厳密化に加担した人権団体は、どうして何の横槍も入れないのか。それらの疑念が払拭されないかぎりは、たとえ菊池が高校生世代で水着の仕事をしていようと、自慰用素材に用いたくはない。


 高校生世代のまだメジャーになりきれていないグラビアアイドルの写真集やイメージビデオ(IV)を販売してきたのは、彩文館出版(エスデジタル)や竹書房、ぶんか社(海王社)などの中堅出版社で、二〇一四年の児ポ法改正以降、新作の発表に及び腰になっている。ジュニアアイドル市場の拡大に寄与した海王社(現・文友舎)のムック「Chu→Boh」も、同法改正前は散々中学生世代の少女の水着グラビアを掲載し、あまつさえIVも販売していたくせに、今日ではローティーン向けのファッション雑誌と遜色ないモデルの露出度で開き直っている。

 エスデジタルは高校生世代から手を引いたと思っていたが、今年六月に入間ゆいの「おともだち」を皮切りに、一宮あい、如月あいりと三作品を発表している。ネット情報によると、入間は〇五年生まれとあるが、ジャケットの裏表紙のプロフィールに誕生日しか記されていない。児童ポルノの摘発を逃れようとする販売元の常套手段だが、たとえ入間たちが高校生世代であろうとなかろうと、選択肢が彼女たちしかないのは不自然で、それを自慰用素材として試すよりは旧作のお世話になったほうがましだ。

 とはいえ、大手出版社が堂々と高校生世代のグラビアアイドルを発掘、育成するのに共感は持てないが、児ポ法改正前まで間断なく新作を発表し続けてきたエスデジタルなどの中堅どころが、現時点でデジタル写真集しか主立った活動の場がない無名の美少女たちを、児ポ法の縛りを巧みにくぐり抜けたうえで、IVや動画配信というパッケージで発表できるかどうかが今後の期待材料だ。

一九九〇年代の自慰用素材回顧録

2022-10-31 13:11:17 | 日記
 一九九九年の児童ポルノ法施行は、中小出版社が地道に育ててきた少女ヌード写真集を市場から追放したものの、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品に対しては何の規制もなかったために、施行前以上に数多くの写真集やイメージビデオ(IV)が市場に出回った。「アイドル=歌手」から「アイドル=水着仕事」へと、器量とスタイルさえよければ誰でもデビューできるようになり、出版社もプロダクションも次々と新人をデビューさせていった。

 九〇年代と〇〇年代以降、つまり児ポ法施行前と施行後の商業作品のコンテンツを比較すると、施行後のほうが実用性に勝るのは言うまでもない。水着の布面積は小さくなって肌の露出が顕著になり、かつては胸の谷間や水着越しに伝わる立体感だけでも性的興奮を得られたが、施行後の作品は高校生世代でも横乳や下乳が堪能できるほど、ストレートでわかりやすいポージングばかりで、僕もやりすぎではないかと多少の訝しさはあっても、九〇年代の作品が陳腐に思えるほど当時の作風にすっかり毒されてしまった。

 九〇年代の自慰用素材は、前半がアダルトビデオ、後半は「お菓子系」雑誌がメーンで、当時は親からの仕送りに頼っていたので写真集を買う経済的余裕はなかった。高校卒業直後に新島弥生の「楽園をさがして」を買ったのが初めてで、次に買ったのはおそらく加藤紀子の「紀子図鑑」だったと思う。メジャーアイドルの作品に手を出したのは、当時の僕がまだ極端なマイナー志向に走っていなかったことの表れだ。

 〇〇年代の作品に比べれば、加藤の水着姿は控えめで、それこそ「殊更に性的な部位が露出され又は強調されて」いないものの、当時の僕は肩ひものないビキニブラから覗える胸の谷間とワンピース越しに伝わる胸の立体感に性的想像力を膨らませ、射精に導かせたものだ。今では〇〇年代の写真集ですら自慰用素材になり得ないのだから、IVの影響などで僕の性的想像力は約三十年間ですっかり衰えている。

 そのほか、この年(九三年)に買った作品として、木内あきらの「SINCERITY」を挙げておく。木内はグラビアアイドルになるべくしてなったようなスタイルの持ち主ですでに大人気だった雛形あきこに比べて大人びた佇まいが僕の下半身を熱くさせた。ヤフオク!に出品されている当該作品のサンプル写真を見ると、滝ありさに顔つきも体つきも似ていて、こういう風貌が僕の劣情をいたく掻き立てるのだろう。

 また、木内と似たような体躯の素材として桂木亜沙美が挙げられ、一作目の写真集「Neptune」を買ったことも思い出した。木内も桂木も滝も芸能人として大成したとは言いがたいが、僕を含む男性諸氏の性欲処理に貢献したのは間違いなく、たとえ水着の仕事だけであっても、今でもその作品がネットオークションで出品され、売買的価値を持ち続けているのは立派なことだと思う。

性的コンテンツの市場拡大による性的格差

2022-10-26 13:14:28 | 日記
 コロナ禍の手慰みとして書き綴ってきたこのブログも、今回で百回目の投稿になる。一人の中年男の自慰遍歴という何の公益性もない内容を、ポータルサイトのサービスを通じて恥ずかしげもなく発信してきたが、これこそインターネットのなせる技であろう。もちろん、書いた記事に対する責任を負うのは言うまでもなく、不確かな情報や嘘を書いたり、自分を大きく見せかけたりすることなく、ありのままの経験を綴っている。

 僕の人生において、思春期に「平成」という元号が始まり、中年期にその時代は幕を閉じた。約三十年間、僕は写真集やイメージビデオ(IV)、雑誌のグラビア、アダルトビデオ(AV)などを用いて自慰をし続け、下半身に湧いてくる性欲を発散してきた。自慰による射精回数が性交のそれを大きく上回っており、おそらく生涯を通じて逆転することはないだろう。それだけ僕は適当な女性に縁がなく、また見つけようともしなかった。

 正確な記録はないが、平成期で自慰回数が最も多かった媒体は写真集で、次がIVだろう。それらを発表したグラビアアイドルの多くは、すでに芸能界を去っている。彼女たちは器量とスタイルのよさを売りに、自慰よりも性交のほうが射精回数の多い男性と結婚し、幸せな家庭を築いているだろう。引退後の動向をSNSなどで一切発信しないのは、ストーカー被害を避けるためなのかもしれないが、僕のような媒体でお世話になった消費者への思いやりもあるのだと善意に解釈している。

 平成期の象徴的な社会現象の一つに生涯未婚率の上昇が挙げられるが、その理由は出会いのなさや経済的事情のほかに、性的コンテンツの市場拡大も含まれているのではないか。グラビアアイドルというサブカテゴリーが確立され、それらの商業作品が増加の一途を辿ったのは二〇〇〇年以降だ。AVもビデオテープからDVDやネット配信への移行で低価格化が進み、疑似本番を排してリアリティを追求するようになった。安価で性欲を満たせる商品やサービスが巷に溢れた結果、異性との現実的な交際や結婚へのバイタリティを削いでしまったのではないか。

 僕と同年代で、結婚して家庭を築いている男性諸氏のほとんどは、人生において自慰よりも性交のほうが射精回数が多いはずだ。二十代で結婚して今も夫婦円満ならなおさらだ。子作りに励み、妻との性生活を続けるのもいれば、それに飽き足らず愛人を囲ったり、不倫に精を出したりする性的強者もいる。一方で、性欲が最も旺盛だった二十代後半から三十代前半の間、ひたすら自慰だけで過ごしてきた僕のような性的弱者もいる。性的コンテンツの市場拡大は、人生において自慰と性交のどちらが射精回数が多いかという性的格差を引き起こしてしまった。

 また、性的コンテンツに携わる芸能プロダクションや出版社のスタッフも性的強者のはずで、それゆえにあらゆる商業作品が僕の性的欲求を満たしてくれたわけではなく、はずれをつかまされたことも少なくない。しかし、僕は性的強者によって作られた写真集やIVに依存せざるを得なかった。搾取とまではいかないが、性的弱者の僕は彼らのおこぼれに与り続けてきたような気がする。