児童ポルノ法施行前(一九九〇年代)の自慰遍歴を振り返ると、施行後に比べて経済的余裕がなかったので、漫画誌や男性誌に掲載される数ページのグラビアでも頻繁にお世話になった。二千円以上もする写真集よりも、四百円でお釣りが返ってきて一週間借りられるアダルトビデオ(AV)で性欲を発散するのがスタンダードで、当時はアイドルの水着グラビアがAVの箸休めという、今とは逆の位置づけだった。
だから、数ページのグラビアでも満足できたわけだが、中には写真集を出してほしかったアイドルタレントもいる。その一人が、菊池あゆみだ。菊池は九二年に大手芸能プロダクションのオーディションでグランプリを受賞。翌年には漫画誌や男性誌で水着姿を披露する。グラビアアイドルのような売り出し方ではないので、露出やポージングは極めて控えめだったが、今でも二度見しそうな一級品の美少女だったので、過度な演出がなくても僕は性的興奮を高められた。
菊池のグラビアで最も強く印象に残っているのは、九三年七月に発売された男性誌「スコラ」だ。持田真樹が表紙の号で、六ページほど掲載された。衣装はワンピース水着にキャミソールドレスとガードが堅めだが、それでも胸の谷間と立体感が覗え、少女特有の透明感漂う菊池の表情とのアンバランスに僕はすっかり魅了され、汚さずにはいられなかった。当該号のメーンは真弓倫子のヌードだが、僕はそれにいっさい目もくれず、AVに飽きたら菊池のグラビアで下半身を熱くさせた。
鳴り物入りでデビューしたので、大手出版社が発刊する漫画誌の巻頭グラビアを何度か飾ったが、その後は目立った芸能活動もなくフェードアウトしていった。大した結果を残せずに戦力外通告を受けた、プロ野球のドラフト一位選手みたいだが、せめて写真集を発表してくれたらよかったのに、と思えるほどの逸材だったことは間違いない。グラビアアイドルほどの恵まれた体躯ではないが、それを補って余りある抜群の美少女の表情と肢体をじっくり堪能できる出版物を残せなかったのは、大変残念なことである。
菊池と同時にグランプリを受賞したのは、奇しくも同じ四国出身の馬渕英里何だ。馬渕もデビュー当初は水着の仕事をさせられたが、女優として成長し、今では名脇役として存在感を高めている。菊池がわずか数年で芸能界からリタイアしたのは、マネジメントをめぐる本人と所属先との齟齬があったのかもしれないが、やはり演技力やトークスキルなどの芸能界での適応能力が、四歳年下の馬渕に比べて決定的に欠けていたと思わざるを得ない。
グラビアアイドルとしてはやや物足りない水着仕事でも僕の性的欲求を満たしてくれたが、所属先は女優やタレントとして育てていこうと、グランプリ受賞者の菊池にグラビア以外の仕事を手配した。企画段階としてはあったのかもしれないが、あれほどの美少女が写真集を発表できぬまま引退してしまったのは返す返す残念だ。