#KuToo運動で知られるフェミニストの石川優実が、お菓子系雑誌「クリーム」の常連として人気を博していたことは有名だが、その頃の僕はすでにお菓子系とは距離を置いていた。二〇〇〇年以降、新興の芸能プロダクションがグラビアアイドル市場に相次いで参入したことで、本来ならお菓子系の枠に留まるはずの高校生世代の少女が写真集やイメージビデオ(IV)を発表できるようになり、僕もそれらを自慰用素材に用いたことで、お菓子系への優先順位は年を追うごとに下がっていった。
僕の中で、お菓子系アイドルの出世頭といえば福愛美の名前がすぐに挙がる。高校生世代を通じて活動し、写真集も三作品発表した。石川や木嶋のりこ(現・小原徳子)のように十八歳を過ぎてからの“なんちゃって”お菓子系ではなく、児童ポルノ法施行による自主規制が過ぎてから適齢期を迎えたという時世にも恵まれた。
お菓子系アイドルの最後のオナペットは誰かと問われると、〇四年に十六歳でデビューした手塚りえだろう。手塚は写真集を二作品発表し、僕はどちらも入手するほど彼女を自慰用素材として重宝していたにもかかわらず、〇四年と翌〇五年を代表するオナペットの一人として紹介するのを失念していた。痛恨の極みであり、この場を借りて本人に謝罪したい。
手塚はお菓子系のど真ん中を行く少女だった。いい意味で言うと、九〇年代から連綿と続いてきたお菓子系の演出に完璧にマッチしているほどの王道的存在であり、悪い意味で言うなら、お菓子系アイドルのままで終わってしまう。お菓子系でトップを張った少女の誰もがメジャーアイドルになれなかったように、手塚も二十歳を過ぎてからの芸能活動は知られていない。
それでも、お菓子系の定番とも言える制服、体操服(ブルマー)、スクール水着の“三点セット”を、そこらへんにいるような少女が違和感なく着こなしてくれたうえに、写真集というじっくり堪能できる形で発表してくれた功績は大きい。グラビアアイドルを自慰用素材とする誰もが、メジャーデビューで非の打ちどころのない洗練されたモデルを求めているわけでもなく、僕のように素人っぽさを残したまま、何もわからず精一杯撮影に臨んでいる少女を求める消費者もいるはずだ。
石川のように、僕が手塚より後のお菓子系アイドルを名前しか知らないのは、高校生世代の少女が芸能プロダクションに所属して写真集やIVを発表できるようになり、そのコンテンツにおいてモデルにスクール水着を着させるなどお菓子系のテイストが取り入れられているからだ。お菓子系を下に見ていたわけでもないが、その頃の「クリーム」は九〇年代後半の全盛期に比べて明らかに不健全なのが表紙からも伝わってきて、成人雑誌色が強くなってきたことも、お菓子系から遠ざかっていった原因だ。
そんな時代背景において、石川の芸能人生のスタートがお菓子系というのは、よく言えば写真集もIVも買えないほど金銭的余裕のない男性諸氏の性欲を満たしてくれたヒロインであり、悪く言えば「クリーム」のお下劣路線を助長し、僕のようなオールドファンにそっぽを向かせた一人だろう。
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