一九八九年十一月二十日。
僕はオナペットを探しに都心へ向かった。その日は月曜日だったが、前日の父兄参観日の代休日で、何の気兼ねもなく上り電車に揺られていた。目指したのは神保町だが、どうやって乗り換えたのかは覚えていない。三越前から半蔵門線を利用したのか、お茶の水から歩いて行ったのか、いずれにせよ神保町でオナペットを探すのは生まれて初めてのことだった。
翌年に高校受験を控えた僕は、生来の意気地のなさが災いして家庭でも学校で抑圧された立場にあった。意気地はなくても性欲だけは人並みにあったが、女子には相手にされず、また当時の居住環境から自慰に対して制限がかけられていた。家族の不在時にしか自慰が許されず、普段と違う一日が訪れたのは絶好の機会だった。
わざわざ神保町まで出向いたのだから、希少性の高い媒体を探す目的があったのかもしれないが、その日入手したのは「大海賊」というA5判のどこの書店でも売っている雑誌だった。巻頭の高橋由美子の水着姿に衝撃を受け、即買いするやいなや下り電車で自宅へ急ぎ、家族の不在をいいことに何の緊張感もなく性欲を放出した。公衆便所でという衝動は当時なかった。
高橋は記録よりも記憶に残る素材で、僕の平成オナペット史の普遍性を築いてくれた一人だ。ロリータフェイスで、スクール水着やワンピースでも胸の膨らみが強調されるモデルに対し、今日でも性欲が抑えられなくなるのは高橋の影響が大きい。ただ、当時の僕は高橋で毎日自慰できるほどの空間が与えられず、A5判とはいえ家族に見つかるのではと心配し、長く所持できずに自宅近くの荒地に捨ててしまった。高橋のページだけ切り抜いて保管するというみみっちい知恵は働かなかった。
高橋のグラビアが掲載されている媒体を購入したのは、後にも先にもこれ一冊で、彼女がトップアイドルから女優へとステップアップする頃には、もう興味がなくなっていた。これも僕の平成オナペット史の総括の一つで、マイナーからメジャー入りした素材に対しては一切性欲を抱かなくなる。つまり、最初からメジャーデビューを果たしたアイドルや女優は対象にならず、ひたすらマイナーな素材を追い求めていた三十年だったと言えよう。
そういう意味では、僕にとってオナペットは自らの性欲処理のための素材にすぎず、決してファンにはならない。写真集やイメージビデオは積極的に入手するが、CDは買わないし、コンサートは行かないし、出演するドラマやバラエティも見ない。そもそも、テレビの露出が増える頃にはメジャーになっているから興味も失せている。マイナー志向が強いのは、やはり当時まだ無名だった高橋から得た経験値が高いからで、オナペットの対象範囲も狭いと自覚している。
僕の愛したオナペットは、高橋のようにメジャーへと駆け上がったのもいれば、マイナーのままで終わってしまったのもいる。メジャーとマイナーの線引きは、テレビに出るかどうかだと思う。歌番組やバラエティ番組に出演し、ドラマで脇役を任されるなど芸能人とみなされればメジャー入りを果たしたことになり、僕は彼女たちへの自慰を封印する。彼女たちが私生活で幸せだろうが不幸だろうがどうでもよく、マイナーで終わってしまったオナペットに対しても、今どうしているかなどの興味はない。
思春期から中年期にかけての三十年間において、僕のオナペットはどのような変遷を辿ってきたのか。平成という一つの時代を総括するうえで振り返る。
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