☆☆☆ 沈黙も 「わからない」 も愛 ☆☆☆
病室にお見舞いに行ったとき、言葉を交わし合う会話だけが大切なのではありません。「意外に元気じゃない?」仕事のことなんて忘れていいからね」など、沈黙に耐えられず、余計な言葉をかけるより、病室で30分、お茶でも飲みながらのんびり過ごすほうが患者さんはやすらぎを感じるかもしれません。なんて言っていいかわからないから行かない、ではなく、ただ側にいることが人を慰めることもあります。
これが対話です。
言葉は魔物です。思ってもいない言葉で傷つけそうな時は黙る、そしてわからないものはわからないと言いましょう。
内村鑑三は、でしの矢内原忠雄から悩みの相談を受けた時「わたしもわからない」と答えました。わからないことはわからないと真剣に応えてくれた内村に、矢内原は大きな慰めを受けたのです。
樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より
今日も、「新型コロナウィルス」の惨禍や感染防止のための、メディアなどが自治体の訴えなどを報じています。今朝の東京新聞の記事の中に、「各国の首相の支持率の変移が、、、、ドイツのメルケルさん80%にアップ、、安倍総理は40パーセントに急降下と・・二人の取り組む姿勢の違いが、民のために真剣に施策を打ったり、感染予防の自粛を訴えているかの違いと、、、パフォーマンスより、真摯に民のために真剣に対処しているかとのことだと思います。
今日のブログとも関係なくはありません。
私たち家族は、この2週間、食卓やリビングで、各自していることは違いますが、最低30分は一緒にいることにしています。各自の好きなことをしながら、変なお節介もなく、沈黙ながらも、今日も3人でいることが愛と喜びではないかと思います。
樋野先生も言われていますが、私も妻ががんになって半年たった時に「私の悩みの半分は夫の・・冷たさ・・仕事に、野球にと、自分を思ってはないのかと」
2年後に、私ががんになった時は「栄養バランスとって食べてね、、、食欲がなくてもすすめる」・・お節介・・ こういった、夫婦も含め家族、職場との人間関係の中での(冷たさ・お節介)は日本人の特有と言われています。
私たちは、お互いの人間関係を考えて寄り添って支えあうために考えていたことは、がんを認めあっての生活をしていくために、一方的な会話でなく、お互いの気持ち(文句と期待)を大事にしていくことでした。
今回の「コロナウィルス」での、「家で過ごそう」のなか、沈黙ながらも30分でも、一緒の場にいられる幸せを感じました。
ちなみに、妻は区立中学で、亡くなった岡江さんは、すぐ近くの国立付属G中で、リズム体操会サークル交流で数回あったことがあると・・・1956年生まれ 63歳
心からお悔やみいたします。合掌
今日の写真は、2年前に旅した、盛岡・・・・岩木山と北上川と樹木のコラボ
新鮮な「ホヤ貝」で美味しい日本酒後に「盛岡冷麺」・・・・また行きたい盛岡へ
辛い時も、涙する時も、希望を一緒に持って「上を向いて歩こう」♬
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