最近めぐりまわってきた本の中に、さくらももこさんのエッセイがあります。現在手元に4冊あるのだが、3冊を維持で読み終えたところ。実は、私は「ちびまるこちゃん」が好きで、つい最近までちびまるこちゃんのお茶碗を幼稚園時代から愛用してきました。もはや30年近い付き合いともいえるでしょう。
まんがの「ちびまる子ちゃん」は学生の頃に全巻もっていて何度も読み返していました。あまり知識のないころから漫画本を買い与えられて、月刊雑誌と言う種類の本があることにも驚き、またその「りぼん」と言う少女漫画の中に休載をはさんでいた「ちびまる子ちゃん」が復活したときは、同じ漫画雑誌で連載していたことにも驚きでした。
私の中の「ちびまる子ちゃん」は、独立していたのです。まさか「ママレードボーイ」や「赤ずきんチャチャ」などの同じ雑誌に載っているとは!!
さて、そんな作者のかくエッセイとは、私の中でどこか許せない部分があり長年の間、文学としてよむことがむずかしかったのです。”どうしてエッセイにしてしまったの?”ちびまる子ちゃんは、私の中で永遠の漫画であり、独立した世界観であり、私の幼いころを共有させるような特別なものだったのに、一気に現実実を帯びさせる世界が嫌だったのです。
長年受け入れることのなかったそのエッセイも私の元にめぐりまわっていざ読まない・・・と言うのは、できませんでした。矛盾しているようですが、”さくらももこ”というのは、私の中で特別でした。私も年をとり、ようやく大人として彼女の一部を受け入れる準備ができました。さくらももこさんが亡くなってしまったことも要因にあるのかもしれません。
「あのころ」「ももこの話」「まる子だった」、創刊年は順不同になりますが、この順で読みました。実はまだあと一冊読みかけなのですけれども・・・。どれも、読みだすとさくらももこさんの幼少期の想い出が鮮明に記録されたように書かれており「ちびまる子ちゃん」としてのさくらももこさん、本当のリアルなさくらももこさん目線からの記述が交差しながら愉快に読める作品でした。ああ、こんなこと漫画であったな、とか、そういう意味です。
また自分を重ねて、幼少期にわたしも”まるちゃんみたいだ”と家族から言われたことから、私はこんな風ではなかったな・・・とか、どうどうと自分の意思を通すまるちゃんに尊敬したり、いろんな思いがめぐりました。私は似ているようで似ていない。こんなに意思をはっきり出せる子供なんかじゃなかった。そう思いながら本を読み終えました。
大人になって、同じ目線で今、本を読めるようになったと感じます。読んでみて、このエッセイは、今しばらく保管しておこうと思いました。大人になったちびまる子ちゃん世代に今一度、手に取ってあの頃を重ねてもらいたい作品でです。
さくらももこ先生、お亡くなりになられて残念ですが、今も私たちの心にあなたがいて、まだ人生を共にしているきがします。素晴らしい作品をありがとうございます。過去形なんてできないです。これからも、大切にしていきます!
ここまでお付き合いくださりありがとうございます。
まんがの「ちびまる子ちゃん」は学生の頃に全巻もっていて何度も読み返していました。あまり知識のないころから漫画本を買い与えられて、月刊雑誌と言う種類の本があることにも驚き、またその「りぼん」と言う少女漫画の中に休載をはさんでいた「ちびまる子ちゃん」が復活したときは、同じ漫画雑誌で連載していたことにも驚きでした。
私の中の「ちびまる子ちゃん」は、独立していたのです。まさか「ママレードボーイ」や「赤ずきんチャチャ」などの同じ雑誌に載っているとは!!
さて、そんな作者のかくエッセイとは、私の中でどこか許せない部分があり長年の間、文学としてよむことがむずかしかったのです。”どうしてエッセイにしてしまったの?”ちびまる子ちゃんは、私の中で永遠の漫画であり、独立した世界観であり、私の幼いころを共有させるような特別なものだったのに、一気に現実実を帯びさせる世界が嫌だったのです。
長年受け入れることのなかったそのエッセイも私の元にめぐりまわっていざ読まない・・・と言うのは、できませんでした。矛盾しているようですが、”さくらももこ”というのは、私の中で特別でした。私も年をとり、ようやく大人として彼女の一部を受け入れる準備ができました。さくらももこさんが亡くなってしまったことも要因にあるのかもしれません。
「あのころ」「ももこの話」「まる子だった」、創刊年は順不同になりますが、この順で読みました。実はまだあと一冊読みかけなのですけれども・・・。どれも、読みだすとさくらももこさんの幼少期の想い出が鮮明に記録されたように書かれており「ちびまる子ちゃん」としてのさくらももこさん、本当のリアルなさくらももこさん目線からの記述が交差しながら愉快に読める作品でした。ああ、こんなこと漫画であったな、とか、そういう意味です。
また自分を重ねて、幼少期にわたしも”まるちゃんみたいだ”と家族から言われたことから、私はこんな風ではなかったな・・・とか、どうどうと自分の意思を通すまるちゃんに尊敬したり、いろんな思いがめぐりました。私は似ているようで似ていない。こんなに意思をはっきり出せる子供なんかじゃなかった。そう思いながら本を読み終えました。
大人になって、同じ目線で今、本を読めるようになったと感じます。読んでみて、このエッセイは、今しばらく保管しておこうと思いました。大人になったちびまる子ちゃん世代に今一度、手に取ってあの頃を重ねてもらいたい作品でです。
さくらももこ先生、お亡くなりになられて残念ですが、今も私たちの心にあなたがいて、まだ人生を共にしているきがします。素晴らしい作品をありがとうございます。過去形なんてできないです。これからも、大切にしていきます!
ここまでお付き合いくださりありがとうございます。