雨の記号(rain symbol)

競技スポーツ

 スポーツは本来、芸術と同じように純粋精神に端を発し、自己に打ち克つことで新たな指標を得続けるところがあるかもしれない。数値的な記録もそこから出てきたりするだろう。
 
 しかし、ルールをつくってある種の約束事から出発する競技スポーツはたぶんに戦略的かつ相対的(絶対的ではない)である。なぜかといえば、数値的な記録などより、他者に勝つことが優先するからである。
 たとえば陸上スポーツ界のエース、ウサインボルト。2010、6月現在、百メートル競走で彼に勝つ選手はいない。少しのレベル差を持ち、それはほぼ明らかなことである。
 彼はいろんなところの大会に招待を受け、走り続けているが、彼がどの大会においても全力が走っているなどと思っている陸上ファンはいないであろう。おそらく、彼に勝てない他の選手がもう少し早ければいいなと願いつつ、彼の手を抜いた走りにも拍手を送っているはずである。もう少し早い選手が出てくれば彼の方も本気モードで走ってくれるのがわかっているからである。

 同じようなことは走り幅跳びにだって、マラソンにだって言える。走り幅跳びで高記録を出した選手がそれで勝てると踏めば、次のジャンプを飛ばなかったりするのはよくあるし、マラソンにおいてもただ勝つことのみにこだわった駆け引きのレースもさほど珍しくない。しかし、それを非難するファンはいない。それが競技スポーツというものだからだ。

 フィギュアスケートだって当然同じことである。絶対的という言葉をもって、自分の持てるありとある技を繰り出すことをしない選手はファンに対して失礼である、などという論法や非難はしたがってナンセンスである。何よりも優先されるのが勝つことだからだ。勝つための戦略にそって内容が成立していることでは、フィギュアスケートも他の競技と何ら変わるところがないからだ。もてる力をフルに発揮した時こそ感動が深い、というのは異論を待たないが、そして勝者は常に讃えられなければならない、というのも競技スポーツの原則なのである(近頃は薬物など使ってルール無視で勝つ輩が増えてきたが)。

 競技スポーツに理想論が出る幕は少ない。

 そんな中でどうしてキムヨナ選手のあんな演技が出現してきたのか不思議だ。まったく不思議だ。
 
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