雨の記号(rain symbol)

プライドママの末路(2)

 長政の似顔絵像はどこぞに残っているらしい。美男と聞き及ぶが、男はひたすら武骨で生きる戦国時代とあってみれば、それにはあんまり重点を置かない方がいいだろう。当時の絵描きがリアリズムの手法に執着したとも考えられない。後世の人間がお市の美貌とバランスを取るため、美男に仕立て上げたのではないかと考えた方が自然ではなかろうか。
 二人の娘である淀君(本名→お茶々)の話に戻る。
 母お市に続いて、彼女もまた波乱万丈の人生を歩んだ。母親ゆずりの美貌だけでなく、生き方そのものも非常によく似ている。
 浅井長政のもとにあったお市は、落城の際救い出され、三人の娘(男兄弟は藤吉郎<後の秀吉>の配下につかまり殺された)をひきつれ織田信長に引き取られるが、女たちがもとの一族に引き取られる例は戦国時代<女は政争の具として常に利用度があった>にはよくあった話である。お市と三人の娘たちはこの後十年にわたって清洲城で過ごすことになるが、これを平穏というなら、騎虎の勢いで勢力を広げている信長にとって、もはや彼女たちはその必要もないことであっただろう。
 が、本能寺の変が再びお市たちを激動の渦に巻き込むことになってしまう。
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