今日のテレビ、夜八時から沢口靖子の「新・科捜研の女」、九時から上戸彩の「下北サンデーズ」、十時から篠原涼子の「花嫁は厄年ッ!」を見る。さすがに三時間もドラマを見ると疲れる。目も疲れやすくなったみたいで、ショボショボする。
「新・科捜研の女」と「下北サンデーズ」はかなり面白い。前者は見ごたえ、後者は小劇団ファミリーの中で活き活き生きる若者たちを面白おかしくとらえている。若い頃、多少、彼らに関わったからよけいに感じる。
「花嫁は厄年ッ!」の篠原涼子は旬の女の輝きがある。
ドラマは日に一時間と決めているが、なぜか木曜日だけ三本も見てしまう。木曜日はいいドラマがそろってしまうのであろうか。
バラエティーはあまり見ない。ニュースは朝に少し見る。どちらも頭の中からすぐ消えてしまう。連続性のないそれらは、頭の中を通り過ぎているだけのようにも感じる。
鈴香容疑者を話題として引っ張って、いったいどうしようというのだろう。情報を流す側は歯止め的なモラルを期待しているのだろう。いろんな人が、ああだこうだ、言っている。
小泉八雲の書いた作品に死肉を食べる坊主が出てくる。食べながら罪を感じ、心のどこかで、救われたい、と願って、その坊主はわざわざ正体を現しに出てくる。
現代に氾濫するのは、何かを犯すばかりの姿である。優先されるのは自己実現ばかりだからだろう。だから罪を感じる姿は登場しないのかもしれない。
起承転結の起しかないドラマに、何を語ったところで空しいばかりである。