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雨の記号(rain symbol)

「朱蒙」から プヨンとイエソヤ

  弟妹を連れ夫余を去ったプヨンの貧しくつつましい行動から、朱蒙は父ヘモス将軍の駆け回った地と朝鮮流民たちの現状に思いを向けるきっかけを得る。朱蒙とプヨンの二人は人間的に未熟な時期に出会い、男として女として共に苦労を重ねていく。人間としてほぼ成人に達した時、プヨンは去り、朱蒙は新たな地平に立った。二人にとっての人間形成期の終章である。
 まだ拙い若者だった頃の朱蒙を知るプヨンはこのステージから去った。しかし、去ったからとて別のステージに移っただけで、若い頃の朱蒙をどこかで語り継ぐ資格を有していることには違いない(僕は個人的に彼女には再登場してほしかったと思っている)。
(「朱蒙」から⑤朱蒙と召西奴より)

 プヨン役女優の途中降板は当初の予定ではなかったという。そうなってしまったのは監督の求めるような演技を、彼女が出来なかったからだと聞く。
 虐待を受けるような場面が多くてかなりハードルの高い演技と見えた。誰がやっても難しかったのではないか。
 ただ、プヨンがユリ王の母になっていく過程としてなら、視点を移しイエソヤの登場とした方がよかったとは思う。
 たとえば神女プヨンの場合、とある国の貴族の娘となっているが、プヨンで通していくとなると、出身国のエピソードが作りづらい。両親を失っている設定を変えなきゃいけないし、変えたとしても新味はとぼしい。そうでないにしても長めの話を作るのは至難だ(推察するにこのドラマもこんなに長い話としてはスタートしていないのだろう)。
 その点、イエソヤを登場させれば、新たな話をぶち込んでいける。舞台の広がりを確保した上、話の数も増やすことができるのだ。
 キャラとしてもプヨンよりイエソヤの方がユリ王の母にふさわしいと感じる。リンとした気品を感じさせる演技で好感が持てる。おっとりした演技に最初は違和感を覚えたが、話が進んでいってもその軸がぶれず、存在感はどんどん強くなっていった。ユファ(柳花)夫人との息もぴったりに感じられた。
 それにくらべ、プヨンのキャラではユファ(柳花)夫人との共演場面が何となく作りづらそうに感じる。
 そのへんを考慮しての判断であったのだろう。
 81話におよぶこのドラマの成功は、イエソヤ登場の成功でもあったと思う。
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