私は23歳になった時、
大学院1年生になったに躁鬱病になりました。
修士論文が書けないのではないかという不安が
プレッシャーになっていたと思います。
但し、これはきっかけであり、
私の躁鬱病はいづれ発症していたはずです。
会社の入社試験でも鬱状態でした。
でもなんとか合格できました。
当時の油化学会の会長の推薦状を頂いたので
私を落とすわけにはいかなかったのだと思います。
躁鬱病ではないかと思いながら
4年半、苦しみに耐え続けました。
そして遂に精神科の門を叩きました。
私は抗鬱剤投与で、異常な躁状態となり
私が躁鬱病だということが分かりました。
会社の本社発表会で200人が参加しているのにもかかわらず
手を挙げ、質問しました。
「その物質は歯にフッ素を取り込ませるのには有効ですが、
ハミガキでの安定性はどうなのですか?
安定性がよくないから、
洗口剤で処方を組んでいるのではないのですか?
安易にハミガキにも使えると言っていいんですか?」
この質問を見ていた人事部長は「目がいっている」と言い
また私の異常な行動すべてを鑑み、
茅場町から栃木のど田舎の研究所に左遷されるはめになりました。
事業部の仕事の華やかさから見たら、
安全性研究の仕事は
単純作業の繰り返しでつまらないものでした。
仕事に対する意欲は全く失われてしまいました。
私は英語の勉強、仕事の勉強等の向上心は捨て
仕事はお金のためにだけ働くことにし
5時に退社し、寮まで歩いて帰って
5時半から始まるルパン三世を見ていました。
この仕事にやる気を失ったことが
躁鬱病にとっては好結果に繋がったようです。
寛解期は14年にも及びましたが、
低い鬱状態だったと思います。
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