晴彦日記

双極性障害1型と1型糖尿病(インスリン注射必要)と闘いながら、少しでも幸せになれるように頑張っています。

情報革命のもたらす21世紀の日本

2006年12月21日 21時22分44秒 | 世界の平和
20世紀後半にコンピュ-タ-が出現して以来、その情報処理能力のおかげで、膨大な計算を必要とする仕事は大きな恩恵を受けてきました。又製造業でもコンピュ-タ-制御により、人の省力化、品質向上等が可能になりました。

製造部門では、人減らしが可能となります。銀行、証券、保険等の金融業でもインタ-ネットを通じた取引により、人が減らせるでしょう。又メ-カ-と小売業の直接取引により、商社や卸業者も必要となくなるでしょう。

その受け皿はサ-ビス業にあると思います。現在日本で生活をしていて、まだまだ不便だと思うことが沢山あります。

これからの高齢化社会に対応するための介護サ-ビス、数の不足している保育園、土日には利用できない公共サ-ビス、金融機関等です。

病院は土曜日にとても混んでいて、日曜日はやっていません。不便なことを解消するサ-ビス業のニ-ズはいくらでもあるように思われるます。人間の便利な生活を求める習性から、それに伴う産業が新しく生まれ、いくら情報技術が進歩しても21世紀には雇用がそれによって奪われることはないでしょう。

1997年国勢調査での労働人口分布は第1次産業が6%、第2次産業が32%、第3次産業が62%となっています。今後第1次産業、第2次産業から第3次産業へのシフトしていき、第3次産業に占める割合がアメリカ並の70%以上になると思われます。

アメリカでは在宅勤務をしている人が4000万人いると言われています。彼らがどんな仕事をしているのか、私は知りません。ソフトウェアの開発、翻訳業務、校正、事務作業、コンピュ-タ-を用いた設計、デザイン、映画制作くらいしか思いつきませんが、幅広いサ-ビスの仕事をやっているのは間違いありません。インタ-ネットの普及がそれを後押ししていると思われます。

コンピュ-タ-が普及しましたが、それを動かすソフトウェアのプログラミングはすべて手作業で家内製手工業のようなものです。化粧品や食品工場の配合ラインでもコンピュ-タ-による自動配合が行われていますが、処方が変更になる度にプログラムを書き直し、テストを行います。テストがうまく行かない場合の殆どがプログラムミスです。いわゆるバグというものですが、カンマ1つの抜けが命取りになってしまいます。コンピュ-タ-プログラマ-にとってこのバグ探しは宿命といってよいです。ソフトウェアのプログラミングでもそうですが、サ-ビス業は人間でしかできず、機械に置き換えられないものであります。

日本の21世紀の将来は短期的には膨大な財政赤字のために苦しむと思われます。どうすればよいかという答えは出ています。アメリカが答えを見つけてくれました。アメリカも財政赤字で苦しんでいましたが、レーガンによる大胆な規制緩和、自由競争を行いました。大企業のリストラによる失業率の増大という痛みを伴いましたが、新しい産業がこれを吸収しました。今や大幅な財政黒字をどう分配するかに頭を悩ませているほどです。

日本も同じように規制緩和をするべきです。又地方分権、地方自治も必要となってきます。日本は問題を先送りしているだけで、このままでは何も解決しません。最悪の場合、国家破綻ということも起こりえます。明治維新や第2次世界大戦の敗北のような、歴史的な転換期にしか日本は変われないのかもしれません。一時的には混乱が起きるでしょうが、すぐに復活するでしょう。国家が破綻しても、日本の優良な会社が破綻する訳ではないからです。そして日本には世界が太刀打ちできないような優良な会社が沢山ある。新しい産業もどんどん起こってくるでしょう。

 21世紀の後半には、すばらしい未来が訪れるでしょう。今では考えもつかないような。輸送機関が発展し、アメリカまで1時間で行けるようになるかもしれません。宇宙旅行のパッケージツアーも今のハワイに行くような格安な料金で登場するかもしれません。自動車の運転も全自動、交通事故もなくなるかもしれません。ガンや成人病で死ぬこともなくなるかもしれない。家事はすべてロボットがやってくれているかもしれません。

かなり先のことでしょうが、ロボットが人間の行っている全ての仕事をできるようになるようになれば、殆どの人間は仕事をしなくても良くなるかもしれません。ロボットを制御し、その性能を高める仕事は永遠になくならないでしょう。政治家は必要かもしれません。法律関係に従事する人、医師、教師はその殆どが、ロボットに置き換え可能でしょう。研究者は残るでしょう。ごく1部を除く大半の人々は何をして、一生を送るのでしょうか。最低限度の教育は受けなければなりません。ロボットに人間を支配させないためにも教育は大切になってきます。人間の知的好奇心から学問への興味は失われることはないでしょう。大学までは義務教育とし、それ以降はスポーツや趣味や学問を楽しむだけのために一生を送ることになるのでしょうか?

本文章は、義父の依頼により、2000年6月に書いた文章を、文脈を代えず、若干の修正を行ったものであります。



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