我が愛車、リード110 Smokey二世号、がご臨終を迎えようとしている。かれこれ10年程間になるだろうか?2台あった古い方のリードを埼玉から乗って帰ったモノなので愛着もひとしおなのだが、ベルコンは滑る、ライトはたまに消え、異音や振動が増えた。その後、タペット音が酷くなった所で見切りを付けた。
タペット位調整しろよと言われるかもしれないが、SmokeyⅡのエンジンは2ストローク。はるな愛ちゃんが『玉が痛い』と言うに等しく、タペット調整は不可能であった。・・・・無い玉は振れん・・・袖だっけ?。
実家で最初に置いたバイクはタクトだった。HY戦争はしりの1980年、新車の出る端から在庫を押し付けられた会社出入りの大型店が、過剰在庫を整理したいんで10数台をまとめ、捨て値で売るから買って頂戴と僕の課に泣きを入れて来た。確か従業員販売より大幅に安く、あっという間に買い手が集まる。
親父が59だったので、赤なら還暦祝いに買うと真っ先に宣言したお蔭で、希望通りの色が割り当てられた。問題は関西までの配送だが、当時は運送会社の規則が緩く、規定料金の半額以下でトラックの空いたスペースに積んでくれた。平たく言えばドライバーの内職(笑)。但し、あくまでも空きスぺースの利用なんでサービスは無く、親父は夜中の3時に電話で叩き起こされ500m程離れた国道まで呼び出されたそうだ。
親父は免許を持っていなかったが、当時肝臓を壊し入院中だったので時間はいくらでもあった。病室に原付筆記テスト問題集を持ち込み毎日やっていたという。還暦の祝には間に合ったが、翌年の5月肝硬変が悪化し、親父はこの世を去った。僕とは正反対の真面目な性格だったが死ぬ前に無免許で近所を一周していたと聞く。死期を悟っていたのだろう。
この後、赤いタクトは帰省時の足として重宝していた。特に神戸の大地震直後は、近くの浄水場まで20Lのポリタンをもって通ったもんだ。用途は勿論トイレ用(笑)。家を新築するに当たり、取り壊しで邪魔になるため隣の坊やに進呈する。確か暫くは関学Fightersの校内連絡車になっていたはずだ。
帰省時の足が無いと不便なので、再び埼玉からリード90を送るが、もう運送会社の内規が厳しくなり、かなり割り引いてはくれたが個人で伝票を切った。流石に正規伝票、近所の公園横まで持って来てくれた(笑)。これも10年近く使ったが、信号待ちで停車中に、ウインカーも出さずにパチンコ屋に突然入った馬鹿に巻き込まれ、大手術後直進性に難があったので廃車にする。これがSmokey一世号。
即、手持ちのリード110を送ろうとしたが、研究所を離れ馴染みの配車担当も異動していた。正規ルートしか手はないと言われその代金は2万強。我が社の従業員販売は居住地のディーラーしか認めてくれないので新車を関西で買う手もダメ。『乗って帰れよ』とおちょくってくれた上司の意見に従う(笑)。
途中浜松で一泊したが、高速代0。109ccでは使いたくても走れんし(笑)。ガソリンも3千円弱だった。宿泊費を足しても新幹線より安い(爆)。途中の景色は楽しめたが、手袋を忘れたため手の甲が日焼け。祖母を見舞いに行った病院で『そこまで行ったら火傷』と看護婦から説教を喰らう。
思えば、研究所に異動し最初に担当した大型プロジェクトがリードだった。これだけ乗り継ぐと愛着が湧くんだよなぁ。ヤマハのシグナスの方が安いし・・・しかもリアは2本サス。アクシスに至っては8万ぐらい安いのってどうよ。悩むなぁ。
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