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巨星墜つ

“男は黙って”確かビールのキャッチコピーだった。それを受け継いだのがロックバンド。その前に一世を風靡したフォークバンドがMCの達人たちを揃えていたのをあざけるかの如くロックバンドは寡黙だったし、ファンもそれを良しとした。

ゴールデンカップスが舞台で十数分かけてチューニングをやったのが当時の外国人評論家に激賞されたこともあった。誤解の無いように言えば、当時はチューナーなンぞは無く、一度狂うと結構合わすのが大変だった。また、中村とうよう氏のようにそんな事は楽屋でやってこいという批評家もいた。

賛否あるのは当然だが、この間無言で作業が続いたであろうことは確実だと思う。70年の中頃、京都で産声を上げたブルースバンドもやはり寡黙路線を貫いていた。ぼーずの通う大学の学園祭にきたウエストロードが演奏以外に声を出したのは挨拶とメンバー紹介、『良かったら前で踊ってください』だけだった。

ウエストが休止状態になり、塩次さんをあちこちで見かけるようになった頃、相変わらず寡黙のままで、スタイルはサングラスに帽子。虚空をにらみながらご機嫌なフレーズを聞かせてくれていた。80年の中頃だったと思う。ウエストの再結成ライブがJIROKICHIでやった時、一人の観客が『伸ちゃん』とエールを送った。すると即座に『おいや』と伸ちゃんが答えたので驚いた覚えがある。

もっともほーさんですら『人間丸なったもんです。伸ちゃんが返事するようになったもん』と言ったぐらいなので、珍しい事だったのは間違いがない。それから10年、久しぶりに行ったライブで聞いたのが『羊羹はよう噛んで食べやぁ』。笑う前に思わず周りを見てしまった。・・・笑ろてええんやな。

その後はここに何度も書いた通りだ。伸ちゃんのライブは行きまくり、関西まで聴きに帰った。妹尾師匠と山科U-MAでライブレコーディングしたDUO(実際は晴さんもいたのでTRIO)は最高傑作のひとつだと思う。また廃盤になった93年のCooking With B-3は友人のCDを聞かせてもらったがこれも素晴らしかった。

伸ちゃんの生演奏やダジャレの連発を聴くことがもう出来なくなった。ものすごく悲しいし寂しい。今はただただ彼のご冥福を祈る。
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