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日中友好さくら植樹  さくら紀行 (4) 残酷な知らせ 5/1 を再投稿

さくら紀行  (4)

歓喜から一転、悲嘆のどん底に、、
昨日、先生から急送されましたFAXの中でのお母様の、
1月26日、不慮の事故で急逝!とのお知らせ、
私はその報に接して、
1日中、唯々、唖然として打ち過ぎました。

命の恩人、軍医さんが、、、との、
私からのお知らせが届いて、
きっと親子ともに喜んでくださっていることを
遠く想像していた私には、
あまりにも残酷極まりないお知らせでした。
1月26日、と申しますと、先生と私が京都で、
最後のお別れをした翌日ですね。
そして、先生が上海に到着されましたのが1月31日、
そして、幡本先生のご存在が判明しました脳が2月6日、
私たち多くの日本人の善意が結実してやっと、
幻の軍医さんにたどり着きましたのに、
半月の違いでそのことをお母様にお知らせできなかった事は、
痛恨の極みでございます。


陳先生、私は昨日、全身の力が抜けていくのを感じました。
そして、関係者の方々に急いで知らせるべきかどうか
迷いましたが、
前川、幡本、黒坪三先生は勿論、他のどなたにも
このことは今しばらく伏せさせてることにしました。
この私の手記の載る季刊「ふるさと紀行」春の号によって、
関係者の方々にはお知らせすることにいたします。
冷酷な運命を、私はその日まで一人で噛み締め
耐えて行こうと思います。

陳先生、先生並びにご家族、ご親戚のお悲しみはいかばかりでしょう。
先生が帰国されてから、旧正月休暇のあと何回かお便りを差し上げ、
電話を入れましたが、ご返信のないまま、
何か不吉な予感が私の脳裏に横切ったことも事実です。
でもこのような悲運を迎えようとは思いもしませんでした。
再会はともあれ、お母様の命を助けてくださった日本人軍医の、
ご存命であることだけでもお知らせたかった、
今そのことが、いっそう悔やまれてなりません。


時の推移、今、私は一刻一刻の時の刻の重さをひしひしと感じています。
貴国の望洋たる大地の上にも、厳粛に時がーーー日本の軍国主義の
愚かさの中で咲いた1輪の花のあることを知って、
私は多くの心ある方々と、ここ二ヶ月心をくだき、仕事の合間を縫って、
その真実に迫ろうとしました。
そのことだけは、信じて、どうかお母様のこれ以前にご報告ください。
前川先生をお尋ねする3月中旬の私の旅は、予定通りおこないます。
先生には、その折、お母様のご逝去のことをご報告します。
陳先生、これからの事は、また、ゆっくりご相談しましょう。
乱心のもと、乱筆乱文のほどご容赦ください。

合掌
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