白虎隊が何故自刃を選んだのか、自刃は儒教の影響なのか、神道の日本にいつ頃から儒教が入って来たのか、仏教も儒教のその教えは日本にどのように影響したのか、
日本の鎖国と開国の歴史に翻弄された時代の若者達、戊辰戦争とは?
長州藩から歴代の総理大臣が輩出された理由は?
靖国神社に会津藩、新撰組は賊軍汚名を着せられたままという事を知る。
(祀られているいないはここでは問題にしません)日清戦争日露戦争、第一次、第二次世界大戦、大東亜戦争とは、何故白虎隊墓地にドイツとローマからの寄贈、昭和初期戦争前、なぜ白虎隊が称えられたのか、、。
特攻隊と白虎隊に共通するものを感じます。
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白虎隊自刃の地
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これまで読んだ明治維新戊辰戦争、会津長州の歴史書にローマ、ドイツに関する記述と明治維新から外国勢力が関わったであろう先の戦争までの記述にはまだ出会っていません。
あの日、山口であったあの方は「危ない事はしないほうがいいですよ」といいました。これまでこれらの歴史書を書いた方々はその事情をご存知で、敢えてその事は避けてきたのだろうと思います。
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(2013 8/6 バーディンバーグ空軍基地にて)
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(双葉町伝承館 3/11平和の祈り)
会津藩、白虎隊が賊藩の汚名のまま、白虎隊の悲劇が世界にまで知れ渡っている、会津藩士の御霊としてはその悔しさ、恨んでも恨みきれない、そんな心情ではないかと思います。
そして、忠孝忠臣の儒教の精神が利用されたのだったら、、。
多くの人は自刃のその精神が武士道精神とうけとめる
ているようですが、古神道由来の武士道精神と誘導してる
そこには悪の巧妙な誘導が存在しているものと感じます。
人類は地域、国内で、世界で支配権争いを繰り返してきたという事実があり、そしてその歴史は勝者によって嘘と隠蔽で書かれ、その歴史が真実であるかの様に、世界に流布されて行来ました。
明治維新の真実の歴史が明らかになるのが待たれます。
アメリカは機密解除によって様々な事実が公開されているようです。
アメリカのコントロール下にあった日本に何があったのか
世界歴史も日本の歴史も表と裏が存在し
大きく分ければ、戦争における領土、権力覇権争いは
支配と略奪、建設と破壊の、悪魔の統治する表の世界での出来事、
明治維新後の戦いは、日本を守りアジア植民地解放の戦いの面と、世界覇権を目論む勢力との悪魔の統治社会と協力関係を結んだ、二面性を持って、それが今に続いていると思います。
その中で神の存在を信じ、神の教えを霊的に感じ取ってきた人は、
邪霊の世界に巻き込まれつつも神のご加護を受けてきたものと思われます。
正神の神々が陰になり日向になり、真の神の子を導いてきたからこそ、
まだ救われの道が残っているのです。
そしてそれら全ては天地創造神の御経綸上の歴史であり、
近未来、神一厘の救いの表と裏の反転が起きることが予告されています。
反転が可能かどうかは私達の生き方想念のあり方に関係します。
私達が歴史を作りその証人としての
まさに千載一遇の歴史の狭間に生かされているのです。
日本の戦国時代にアジア諸国は植民地支配の中にありました。
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奴隷化されて第一次産業革命において西欧列強は更に植民地を欲し日本も覇権争いに巻き込まれていきます。
歴史は勝者によって作られると言いますから、歴史その多くが嘘という前提の上にあります
数多く有る明治維新、会津、白虎隊関係の著書は未読のままのものが多いのですがあえて先入観を持たず、会津の閉ざされた心に光を当て、恩讐を超えて和解に導く事を目的とします。
私達人類は現界、幽界、霊界の三千世界に輪廻転生を繰り返しながら生き続けているのであり、現界に怨念を残しその執着が取れないままだとその波動は因縁の地に伝わって、現界に生きるものに影響を与えます。
そのような例は後述「長州藩、初代藩主毛利、、、」の著書にも実際あった話として記されています。
憎しみ、苦しみ、、その執着が取れないという事は、
成仏できていないという事で当人が救われていないという事で、
何百年前の出来事であっても、延々と今に続いている例は数多あるのです。
。
私の資料になるものは、最近の真実に近いと思われる著書と実際に目で見たもの、(偶然にして必然が多くあります)、そして神御経綸の学びと霊的感性によるものです。
従いまして少々、異次元の解釈が含まれ理解不能な表現になることもあるかもしれません。世界、日本の歴史、そして会津藩、白虎隊に関する著書が多く存在しますが、私自身はまだ歴史の学びの途中であり解釈間違いするかもしれません。
それは私個人の見方であり、内容に関して間違いを指摘される事はあっても非難はされるものではないと考えます。
いつものようにこのブログ内容についての一切は私個人に帰属します。
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戊辰戦争以前の会津藩と長州藩、土佐藩薩摩藩などの関わりは日本国内で領土争い、天下取りの戦国時代に遡る事になり、会津藩祖、保科正之の誕生から始まります。
「幕末会津藩」を読み進める中で、保科正之の誕生、その境遇がなんと、長州藩初代藩主、毛利秀就の誕生にそっくりである事に驚きました。
(2021 11月発行、毛利秀就公、誕生の真実追求ー平山・田村共著)
保科正之の母、徳川秀忠の大乳母に仕えていた娘お静、
毛利秀就の母は二の丸様と呼ばれていた側室であり、
両者の正室は気位が高く、側室とその子の存在が脅威とされていたというところまでそっくりなのです。
それは戦国時代にあっては珍しいことではなかったのかもしれませんが、よりによって会津藩と長州藩の歴史上の初代に関することですから何かの縁を感じずにはいられません。
会津藩祖、保科正之は名君として知られていて、会津藩の「ならぬものはならぬ」の家訓を創始、今に伝わっています。
藩校は会津藩から全国に広がっています。
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会津日新館をはじめとして藩校が日本全国藩に広がっていったことは武士時代の日本の教育の基礎が儒教であったと思われます。幕末会津藩の中に少しだけ触れていますが神道教育はなされて来なかったと考えられ時代の流れとはいえ、現在の武士道精神が儒教と受け止められているのは、少し違うと思われます。恐らくGHQが焚書にした中にこの武士道精神の正当な流れの書物が存在していたと考えられます。
神道発祥の武士道精神が儒教の教えとすり替えられ、切腹自刃は武士道精神に則ったものと認識されてきたと考えます。
武士道の正当な流れを知るためには古神道を知らなければなりません。
必然的に儒教仏教がどのようにして日本に浸透していったのか隠さなければならない何かが存在していると思われるのですが、、、。
戦国時代は大航海時代、西欧列強国が植民地を求めていた時代、キリスト教を隠れ蓑に日本植民地化を狙っていたと言います。恐らくその当時仏教(儒教もかも)の日本制覇が終了していたこともあって、内戦の戦国時代を迎えておりキリスト教の浸透、西欧列強の目的、日本の植民地化は半ばにて、江戸時代を迎えたという事だと思われます。江戸幕府において全国的に安泰の時期と言われていますが、各藩の領土、権力支配争いは存在していた様です。
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(松陰資料館)
そこにアメリカのペリー来航、
資料館には乏しい資料しかありませんでしたが、その中に日本が狙われているその状況が書かれていました。長州藩山口は外国勢力の動きを把握できていたものと思われ確かに吉田松陰は危機感を募らせていた様です。
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(松陰資料館)
その吉田松陰は会津藩の日新館を二度ほど訪れています。偵察なのか、友好的にか学びなのか吉田松陰は明治維新で活躍した人物を輩出したという事が最大の功績として讃えられています。
所で、資料館に隣接して松陰神社がありますが、何故神の子人たる物が神と崇められるのかが疑問です。
その疑問は寺院にも感じます。
仏教伝来後、日本全国に多くのお寺が建立されました。
確かに信仰のためだったと思いますが、その裏には悪魔の野望が存在したのではないかと感じています。信仰のための寺院でないと言うのはお寺の建立は時の権力者の権威誇示のためだったと言えるからです。
他に、毛利秀就公が悪業の為、怨念に悩まされて、せめてもの償いとしてお寺を建てたと言う例があります。
このように、古神道の流れ以外の神社仏閣は人物信仰となっていったと言うことが言えると思います。
それは、天地創造の神から見てどうでしょうか?
これは神様を利用している事であり大変なご無礼ではないかと思います。
靖国神社も知っている人は知っている、、長州藩の権威誇示であるということを、、、。
明治維新後の歴代総理は薩長藩から輩出、
しかし、日本人の三人を除いては外国人だと言うー
これはどう言うことなのだろうか?
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明治維新から、否それより以前の南北朝時代から連綿と日本には表と裏が存在したのだろうと思います。
これまでの歴史が勝者の都合に合わせて書き換えられている、
戦後7769冊が焚書されたと言います。
これらの本の内容、その真実が明らかになりつつある様です。
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これから、
どのような展開が待ち受けているのでしょうか?
2023 10/6