見出し画像

光の世界へようこそ❣️

日中友好 さくら植樹 (19) 母の命の恩人を探して❗️新聞記事

さくら紀行について

さくら紀行の途中の 「かかる軍人ありき」の転載は終了しました。
次は、さくら植樹に参加した皆さんの体験記になりますが、
このきっかけとなりました、経緯が当時の新聞に掲載されましたので、
それを、先に紹介いたします。

*******

平成3年、8月3日、読売新聞夕刊
戦時下でも日本人民の友好があった❗️
私の恩人を探して❗️
すべては1人の中国女性の悲願から始まった❗️

       母の恩人*日本人軍医探して
終戦記念日を前に47年前、
母親を日本人軍に助けてもらった中国浙江大講師の陳さんが
九州大工学部訪問研究員として日本留学したのをきっかけに、
約半世紀前の母の命の恩人を探している。
陳さんは
「戦争は災難をもたらしたが、
母はその不幸な時代にも優しい日本人がいたことを語り伝えてくれた」
と話している。
人陳さんの母は浙江省金華区義烏県大陳村在住の楼さん、 68歳。
陳さんの話によると楼さんは
1944年21歳の時、骨髄炎とみられるひどい足の病気にかかった。
楼さんは父を3歳のときに亡くし、
母子2人で苦しい生活をしていただけに、
治療も受けられず困っていた。
当時村には日本軍が駐留しており、
30歳前後の日本人軍医が毎日薬を持って家を訪れ、治療してくれた。
ご飯やお菓子を持って持参することも度々で、
親身な介護に母娘は感激した。

献身的な治療の甲斐があって、1ヵ月余りで病気は良くなった。
終戦の年1945年軍医は村を離れた。
互いに相手の言葉がわからなかったので
名前も出身地も知らずじまいで手がかりは無い。
楼さんは翌年、
中国人男性と結婚、翌々年、陳さんを産んだのを始め、
三男四女をもうけた。
対日感情が悪い時にも子供たちに
「日本人民の友好があったことを忘れてはいけない」と教えてきた。
今年5月末九大工学部の村上教授の教室に留学する前、
「軍医さんは70歳以上になっていらっしゃると思う、
ご健在を祈り、感謝の意を表したい」と恩人探しを陳さんに頼んだ。
同教室の篠崎さんらも恩人探しに協力している。連絡はーーーーー。

*******


                     2021 6/15
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「さくら紀行」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2025年
2024年
人気記事