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ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

16年ぶりの映画の話し3-1★kazan少年のシネマパラダイス

中学時代、kazanの居た街には東映、日活、大映、松竹、東宝の封切り館があり、他に洋画の封切り館が一館、旧作3本立て興行館は邦画系2館と洋画系一館の9館があって、小学時代にあった、新東宝の封切り館と東映を挟んだ先には洋画封切り館があったから、11館に構成であって、今にして思えば、動員観客数はともかく、後年知ることになる浅草六区以上の映画興行文化があったことになりそう。

さすがは、東北の地方都市という環境から、寄席は無かったし、浅草の一方の華であるストリップも今にして思えば、一軒もなかったような記憶で、その意味では、オク手であったkazanの形成そのものであったような感じデス。

そんな環境にあって、中学時時代は圧倒的に日活映画通いでした。

 

というのも、小学校は完全給食で、中学は弁当持参か学校内に売店でパンと牛乳を買うことになり、50円か100円、おそらく50円のほうが確度が高いと想像しますが。。
それを母親か祖母から頂戴して、そこから一食あたり10円をこ貯めして、土曜日の午後、学校が引けると帰り道にある、日活へ直行します。

当時、日活だけは、初回に学割で80円かそこらにキャッシュで入場券を買うと、入場券と、はがき大の半分くらい大きさの、次回入場券購入時の半額割引券が手渡される仕組みデス。

初回の一回だけ、正規の学割料金か中学生割引の料金で入場すれば、以後毎回半額で入場できる仕組みで、これは当時の自分には、トンデモない利権であり他に替えがたい特権でした。

かくて、日活の封切り館での三本立て興行は、毎週kazan少年の映画心を満たしてしてくれる「シネマパラダイス」の世界でしたデス。

当時の日活は、当初は、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治が看板スターで彼等が主演のカラー映画封切りが二本+モノクロの日活文芸路線モノが1本の構成で毎週土曜日は映画鑑賞とシャレ込んだ華の中学時代でしたデス。

上がカラー映画用日活映画の「ロゴムービー」、いわば、トレードマークで商票のような位置づけのもので、東映がもっとも印象深い「海面に露出した岩礁に波が押し寄せてぶつかり東映のロゴがあらわれる」アレです。

ちなみにキーワードである「ロゴムービー」を知ってて、会話に挿入できれば、一丁前の映画人か、映画評論家もどきに。

ビジネスマン風のファションを押しやって、「らしさ」「ッポい」ファッションで、新宿ならゴールデン街か西口なら青梅街道から小田急ハルク裏あたりで安酒を、飲んでれば、そのうち「センセ~」と声を掛けられるかも知れませんデス(^^)  これは、とりあえず、オサヨ、リベラルの特権みたいなモノです。

あの世界は、監督、脚本、と言った現場系は圧倒的オサヨでリべラルデス。




しかし、kazan少年、当時はシャレ込んだは今様の余裕で、当時は映画を語る資格の片鱗もない田舎の映画好き+糞ガキであったことを告白デス(汗)

かなり「クドい」イントロになりましたデス。
この続編は今夜中に仕上げる予定のハラ積もり。。 努力してみます
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