半世紀前にダイヤモンドホテルのフロントカウンターで、ホテルマンとチェックインかなにかのヤりとりで話をしている時に、右手のラインで、同様にホテルマンと話している短髪で長いもみあげ、ギョロッとした目をした男性がました。
作家の三島由紀夫です。
その時、瞬間でしたが、目が合いました。
超有名人を見た興奮で、kazanの顔は、おそらく呆然としてたに違いありません。
紅茶色のジャケットを着た三島由紀夫は、当時、平凡パンチか、週刊プレイボーイで知らされていた、剣道とボディビルで鍛えた体つきが、ゆったりとしたジャケット越しに判るかのように、重量感があったことを記憶してます。
その一年か二年後に、市ヶ谷で割腹自決しておりますから、すでに、「楯の会」はすでの活動していた時期のはずです。
宮崎正弘氏は作家ながら、この年代で、もっとも世界を飛び回って取材をしてるライターですから、ジャーナリストとしての顔のほうが、さらに濃厚です。
その宮崎正弘氏は、楯の会のメンバーでしたことも有名です。
今は、ラジオ日本の「マット安川のずばり勝負 」に月イチか月二くらいの頻度で出演して、kazanにとって耳障りの良い話を聞かしてくれ、ご本人が日本に居れば、毎朝、メルマガが配信されてきます。
また、ネット配信動画・TVコンテンツで、話を聞く機会は多くなりました。
毎回読ませてくれる、濃厚な内容で、facebookでそのまま、引用したと記載しながらも、全文コピペしてる豪傑も居ますが、これはマズイです。
仮にも、現役の作家の文章を、たとえ、各人にメール配信された全文であっても、そのままコピペはいけません。
これがコピペで楽をしてる者の仁義だと考えるkazanです。
本ブログに、昨日到配信されたニュースレターの中の一節
三島由紀夫が自決したニュースは、kazanは都心から水戸街道を車で、丁度荒川の四つ木橋を渡りきる時に、車のラジオの緊急ニュースで知り、渡りきったところで、路肩に車を止めて、ラジオのニュースに聞き入った記憶があります。
当時はリベラル、左翼が進歩的で合理的で、人権、平和の守護者のような風潮が強い時代ながら、半世紀を経て、時代と価値観、常識と事実はすっかり逆転しました。
それだけに、もし、あの時代に、今のようなネットツールと空間があれば、事件は無かったかも知れません。
後年、三島由紀夫が市ヶ谷での決行をする時に、自身の死を想定し、奥方やお子様への、毎年のプレゼントを、然るべき老舗に注文し、その日に届くべく手配をしていたエピソードを知りました。
その日が、各人の誕生日であったか、あるいはクリスマスであったかは、失念しましたが、心に残るエピソードです。