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ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

従来、この切り口での反論・非難、批判は少なかったと記憶します

今朝、朝の二度寝の途中twitterを開く。
かんチャンの慰安婦ナンチャラ非難、批判、disりは正直もう、食傷気味。


そんな中で、ピーピーピヨコちゃんサン投稿の切り口は、従来あまりなかったケースで取り上げました。

正直日本の1956年は自分が小学生の悪ガキ全開の時代だが、時折耳する「ジョロや」は正直意味不明ながら、子供心に、口に出してはイケナイ言葉という認識があったようだ。

後年「ジョロや」が「女郎屋」という商売と、その建物をさすと知ったのは中・高時代のはず。


親父勤務の関係で、東北のある県都の市を訪れた時、その名残が残る一角を知ることに。。

転業して女郎屋は、その後、飲食店や旅館業になったらしいが、その屋号残りを転業後の営業店名に使用してたと思われるケースを認識したのは、学生時代です。

「満月」「ゑびす屋」「蔦や」etc.
記憶は薄れ、まだいくつかあったと記憶するが失念して思い出せない。

たださらに後年、浅草に住むようになり、「中・なか」という言い回しをし知り、足を踏み入れたら、そこは、「吉原」で、そこには似たような屋号の店があり、ネーミングに納得した記憶があります。

ちなみに、夜毎に浅草トップクラスの安スナックに深夜なれば通いつめた観音裏・三丁目はそこからそこまでは徒歩で10分もかからない距離でしたデス。

「日本が売春を禁止したのは1956年」で思い出した記憶です(汗)



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