(前日からの続き)
生きるということにしたって死ぬという
ことにしたって時があってね。
我々のこの肉体人間の情から言えば
とてもやりきれないいろんな出来事だって、
それはやはり選びの時なんですね。
向こう側からすれば選びの時なんです。
そうして皆のことを考えてる。
そういう時が与えられる時はね。
だから、ああこれは神様が与えて下すった
ものなんだなと考えることですねえ。
それを目指して、世界平和の祈りという
ものがあり、皆さんの統一というものがあり、
印というものがある。
皆離れてるもんじゃないんですよ。
あなた方の祈り心が深くなって、自分を
深く省みて、自分の中に、そうだ神様からの
宝物を私たちはいただいているんだなと、
そう思える心になった時に、そう思える心が
一瞬間きたら、これはもう大変なことですね。
で、それをずっと続けていって下されば、
それはもう大変なことですよ。
それをできないと思っているのが人間ですよ。
できると思っているのが神様です。
宗教というのは、そのできると思ってる
神様の大きな愛念に、我々全部を預けて
しまうことですね。
生命もすべてね。
投げ出すというのは大変なことだけど、
やってしまえば簡単なんですよ。
なかなか情としては大変だけどね。
やってしまえばと言ったって、
できないですよ先生、とくるかも
わからないけれども、あなた方、祈ってる
時は投げ出してるんだよ。
自分たちは分からないけれどね。
世界平和の祈りを祈ってる時は、いろんな
雑念があろうと何していようと、やっぱり
投げ出してるんです。
だから、あなた方は毎日毎日投げ出して、
自分をカラッポにする修行をやっぱり
やってるんですよ。
気がつかない内にさせていただいてるんです。
だから、任せるということは朗らかになる
ことですよ。
神様と一つ生命になるということですよ。
あるいは、神様の愛が私たちの中に流れている
ということを知ることです。
そのために祈りがある。
そのために生きる。
そのために悩むんです。
すべて無駄な事はないんです。
皆必要なんですね。
決まってる事なんです。
必定なんです。
だけども、神様というのは宿命じゃない。
宿命論者じゃないし運命論者じゃない。
だから、運命修正というものができるでしょ。
皆さんの祈りによってできるでしょう。
あるいは、皆さんの愛念によって動いて
いくんですよ。
そこに世の中の人々が言う奇跡というものも
生まれて来るんです。
だから、もうこれは神様事だから神様に
任せなければ仕方がないといって投げ出してね。
投げ出してというのは、放り投げて努力もしない、
ねえ、もうとても私たちの力では及びません
といって投げてしまっちゃあ、こりゃあ
駄目なんです。
やっぱり祈る。
祈って祈って祈って祈りきったところに
光が出てくる。
その時に、例えば生き死にの問題で言えばね、
つまり、一人の人に、生命を向こうにもって
いかれるか、まだこっちにいて皆さんの役に
立つか、どちらになるか分からないけれど、
祈って光がパーッと来て、そうして、そうか
それじゃあといって向こうで変更になるかも
わからない。
その辺わからないんです。
ただ分かってる事は、どんなふうな現われ方を
しても、神様というものは絶対に
私たち一人一人を愛しているということ。
憎んだりは絶対しない。
恨んだりも絶対しない。
何故なら、みんな神様の子どもなんだから。
ね、子どもを愛さない親はいないでしょう。
そうでしょう。
絶対みんな子どもは可愛いいですよ。
その何十倍何千倍、神様というものは
一人一人を愛している。
今のあなた方のありのままを愛しているし、
あなた方の中に貫いて流れている深い生命
というものも愛してるし、あなた方全体の、
もう全部を愛してる。
それを引き出して用いようとなすって
らっしゃる。
だから、遠慮しちゃあいけないんです。
(つづく)
生きるということにしたって死ぬという
ことにしたって時があってね。
我々のこの肉体人間の情から言えば
とてもやりきれないいろんな出来事だって、
それはやはり選びの時なんですね。
向こう側からすれば選びの時なんです。
そうして皆のことを考えてる。
そういう時が与えられる時はね。
だから、ああこれは神様が与えて下すった
ものなんだなと考えることですねえ。
それを目指して、世界平和の祈りという
ものがあり、皆さんの統一というものがあり、
印というものがある。
皆離れてるもんじゃないんですよ。
あなた方の祈り心が深くなって、自分を
深く省みて、自分の中に、そうだ神様からの
宝物を私たちはいただいているんだなと、
そう思える心になった時に、そう思える心が
一瞬間きたら、これはもう大変なことですね。
で、それをずっと続けていって下されば、
それはもう大変なことですよ。
それをできないと思っているのが人間ですよ。
できると思っているのが神様です。
宗教というのは、そのできると思ってる
神様の大きな愛念に、我々全部を預けて
しまうことですね。
生命もすべてね。
投げ出すというのは大変なことだけど、
やってしまえば簡単なんですよ。
なかなか情としては大変だけどね。
やってしまえばと言ったって、
できないですよ先生、とくるかも
わからないけれども、あなた方、祈ってる
時は投げ出してるんだよ。
自分たちは分からないけれどね。
世界平和の祈りを祈ってる時は、いろんな
雑念があろうと何していようと、やっぱり
投げ出してるんです。
だから、あなた方は毎日毎日投げ出して、
自分をカラッポにする修行をやっぱり
やってるんですよ。
気がつかない内にさせていただいてるんです。
だから、任せるということは朗らかになる
ことですよ。
神様と一つ生命になるということですよ。
あるいは、神様の愛が私たちの中に流れている
ということを知ることです。
そのために祈りがある。
そのために生きる。
そのために悩むんです。
すべて無駄な事はないんです。
皆必要なんですね。
決まってる事なんです。
必定なんです。
だけども、神様というのは宿命じゃない。
宿命論者じゃないし運命論者じゃない。
だから、運命修正というものができるでしょ。
皆さんの祈りによってできるでしょう。
あるいは、皆さんの愛念によって動いて
いくんですよ。
そこに世の中の人々が言う奇跡というものも
生まれて来るんです。
だから、もうこれは神様事だから神様に
任せなければ仕方がないといって投げ出してね。
投げ出してというのは、放り投げて努力もしない、
ねえ、もうとても私たちの力では及びません
といって投げてしまっちゃあ、こりゃあ
駄目なんです。
やっぱり祈る。
祈って祈って祈って祈りきったところに
光が出てくる。
その時に、例えば生き死にの問題で言えばね、
つまり、一人の人に、生命を向こうにもって
いかれるか、まだこっちにいて皆さんの役に
立つか、どちらになるか分からないけれど、
祈って光がパーッと来て、そうして、そうか
それじゃあといって向こうで変更になるかも
わからない。
その辺わからないんです。
ただ分かってる事は、どんなふうな現われ方を
しても、神様というものは絶対に
私たち一人一人を愛しているということ。
憎んだりは絶対しない。
恨んだりも絶対しない。
何故なら、みんな神様の子どもなんだから。
ね、子どもを愛さない親はいないでしょう。
そうでしょう。
絶対みんな子どもは可愛いいですよ。
その何十倍何千倍、神様というものは
一人一人を愛している。
今のあなた方のありのままを愛しているし、
あなた方の中に貫いて流れている深い生命
というものも愛してるし、あなた方全体の、
もう全部を愛してる。
それを引き出して用いようとなすって
らっしゃる。
だから、遠慮しちゃあいけないんです。
(つづく)