人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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我らのふるさと(2)

2021-04-11 11:16:56 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
ところで、私たちは、生まれていろんな所を
ふるさとにもっているんだけれど、で、
ふるさとを離れて過ごしている人もたくさん
いるんだけれども、私のふるさとは何か
というと神ですねえ。

神への郷愁という本を書いたけれどもね、
これはもう変わることのないふるさとですね。
神様というのはね、これはもうとてつもなく
大きな愛でしょう。
で、その愛というのは高くて、そうして
もう何ともいえない安心感、ここへ帰って
いけば間違いないですよ。
絶対に間違えっこないんです。
だから、私たちは安心して文句も言えるし、
恨み言も言える。
とにかく神様なんだから。
しかし、我々はそこへ帰るということ
だけではなくって、そこへ出発点にしてね。
そこがふるさとなんだということ、我々は
神のふるさと人なんでね。
原稿にも書いたけどさ。
そのふるさと人である我々が神様という
ふるさとから出発して、いろいろな所へ光を
撒いてるんだということねえ。
そうして、エネルギーがきれたらそのふるさとへ
戻ってね、神様お願いしますといって、祈って、
そして、光をもらってね、また働く。
こんないいことはありませんねえ。

このふるさとはなくならないですよ。
例えば、日本では、あるいは世界だって、
今土地が狭くなって、海を埋めたりとか
やってますでしょ。
新しい都市ができて街ができて、そこへ
移り住んでやってるけれども、そのふるさと
というものはね、ある時ダムに沈んだり、
いろんなことが重なって、そのふるさとの原形
そのままというのはなくなりますよね。
ところが、このふるさとはなくならないんだね。
このふるさとはなくなりっこないんです。
これは我々の魂の元の元ですもの。
神様というのはそうですよ。
我々の元の元でしょ。
その元はなくなりっこないんです。
          (つづく)