人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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統一ということ(1)

2021-04-25 07:38:35 | スピリチュアル
統一会や祈りの会とか、支部でも集会でも、
今ではWPPMもありますしね。
世界中に世界平和の祈りが広がっていって、
だんだん大がかりになっていってる。

統一ということも、なかなか難しい。
本質を言えば非常に難しいんですね。
けれどもまた、あんまり難しく考えすぎてもね、
統一というものの姿が見えなくなっていく
ということはありますね。
統一ということは何かというと、言葉は何でも
いいんですが、神様に寄りそって神様を呼んで、
そうして、神様の愛と一体になっていく
ということですね。

言葉で言うと非常に難しいんだけれども。
さっき申しましたように、私の柏手とか
口笛とか印だとかいうもので、流れという
ものを引き出すといいますかしらね。
皆様が、私に唱和して、世界人類が平和で
ありますようにと祈って下さる。
その瞬間から、皆様の中の神の子としての、
光の子どもとしての、そういう光の流れ
というものが出てまいりましてね。
そして、私の柏手のひびきと一体となって、
あるいは、五井先生の祈りそのものと一体に
なって、神様の方へずっと昇ってゆく。

その流れというものは、普段日常の中で
ゴタゴタ動いている時には、なかなかねえ、
そこへ波動はいかないんです。
霊妙な細かな波動というものはずっとあるんです。
あるんですよ。
だけどもそれに気がつかないようになってる。
何時に電話しなきゃなんない、何時に人が来る、
誰と会う、誰と契約する、どういう仕事をする、
今日は飲み会だとか。
そんな時に、神様とおもう、何かそういう
ゆとりが人間にないでしょう。
で、祈る場所も祈る対象もね、一緒に祈る人も
会場も、そういう設営といいますかしらねえ、
そういう場づくりをして、自分の中にずっと
流れてるんだけれども、普段はなかなか
そこまで降りてゆきにくい。
そういう霊妙な波動の中に自分を放り込んでね、
本来の(自分の)明るい自分の発見というものを、
祈りの中でしてゆくと。
それが統一ということですね。
               (つづく)