人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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ゆるされている生命(2)

2023-01-01 10:34:01 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
人間の心というのは、ただひたすらに素直に
なりたいというか、神様の方へ向いて行きたい
というか、それが本来なんですけれども、この
世の中の憂さ、辛いこと苦しいこと悲しいこと
いろんなことによって、素直になりたいけれども
素直になれない状況というものが自分の中に生ま
れてきて、あるいはまわりに生まれてきて、とても
じゃないけれどこの世の中は公平だとは思えない。
とてもじゃないけれど、今自分が幸せな状態だ
とは言えない。
というふうなことがいろいろ生まれて来ますとね、
これをこちらへ向けばこうなるんだというような、
そういう強いられ方でその絶対者に向けと言っても、
向けられるもんじゃないんですね。
で、簡単に申しますとね、人間の心というものは
本来自由です。
何故自由かというと、神様から来ている我々は
分生命なんですね。
そして、我々はどんな柵(しがらみ)からも
解き放たれて自由になりたいと思うけれども、
もっともっと我々の本体、本来の生命という
ものは、何ものにも把われないものだから、
この世の中は表面的に何処かに属しているとか
誰かを養っていかなきゃいけないとか、
いろいろな義務というものを負ってはおりますけれど、
そうじゃなくって、自分の中で何ものも強いられる
ものがない、そして、何ものからも自由である。
それは何かというと、元々神様そのものが、
人間を強いるとか何かをしなければ生かして
いかないとかですね、そういう類の方ではない
からなんですね。
要するに、もう全くの無、無を突き抜けた
朗らかな心、それが神様の御心でありまして、
その御心から分かれて来たのが我々人間で
ありますから、そこで、何をしないといけない
とか、これをすると罰が当たるとか当たらない
とか、そういうことはないんですよね。

つまり、冥加(みょうが)という言葉があります
けれども、生命冥加とか何だとか。
冥加というのは何かというと、我々が自覚しない
ところの神仏の加護なんですね。
神仏の守りなんです。
つまり、自覚しないところのというのが、これが
有り難い事なんでしてね。
神様というのはそうなんです。
こちらが眠ってる時でも忙しくって神様の事を
忘れている時でも、何でもずっと守ってる。
愛している。
ゆるしている。
神様の方からは、一度も罰を当てようとしたこと
というのはない訳なんです。
今まで。
どんな歴史の中でも。
じゃあ、何故戦争が起こったか、何故人間と
人間が争うのか、ね、ノアの大洪水は
先生あれは何だったんですか、いろいろ聞かれる
でしょうけれど。
それは、人間の業というものが、何度も何度も
掃除していかないといけないという、その
節目(ふしめ)節目というものがありまして、
歴史の中で、そして、じゃあ罰も何も無いん
だったら、何のために人間が悩んで苦しむのか、
全くずっと平穏に平和にやっていければいいのに
と思うけれども。
 つまり、人間の、何といいますかしら、深さ
ですね、神性。
そういうものは何によって浄められるか
高められるかというと、人間の苦を通してのね、
涙を通しての経験によってだけ高められるんですね。
            (つづく)