人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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ゆるされている生命(5)

2023-01-04 08:30:11 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
この世の中でいえば、信仰しない人は救われない
とかいろいろ言うけれども、そんなんじゃないんです。
それだったらもう小乗(しょうじょう)以下
なんですね、大乗(だいじょう)と小乗とあって、
大乗というのは勝れた乗り物という意味だけれども、
勝れた乗り物というのは神様の大きな大きな大愛で、
その愛とゆるしの光そのものなのです。
その愛とゆるしからいうと、神様というのは
ついぞ人間を責めた事がない。
ついぞ人間を裁いたことがない。

その裁いた事がない神様に、我々がこの生命を
この心を捧げて生きていくことが出来たら、その
時に、神様の方の喜びも大きくなるし、我々の方に
いただいている光だってますますその輝きを増して、
この世の中で成してゆくべき仕事ですね、肉体の
中で関わっていかなきゃならないこと、悩ま
なければならないこと、苦しまなければならない
こと、あるいは喜(よろこ)び事、そういうものも、
何といいますか、スーッと来てスーッと通り
過ぎるんです。

決して私の申し上げてる事は、ご利益の宗教じゃ
ないんです。
人間が果たしていかなきゃいけない務め、そうして、
どうしても果たしていかなきゃならない宿題
というものはあるんです。
そのために、肉体の時間が随分くっちゃって、
もうとてもじゃないけど五井先生どうにも
なりませんという人の嘆きを一杯聞きますけれども。
どうにもなりませんというのは、肉体の我の方の
叫びなんでして、その我というのを溶かして、
そして祈りの中へ入り込んでしまうと、まだまだ、
自分の中に、永遠の生命としての人間の本来心が
そこに顔を覗かせてきまして、そうして、
その切羽つまってどうにもならないという
ところから反転して、今度は、大生命の生命の道へ
スーッと入っていくんですね。

そのスーッと入らせていく、入らせていただく、
それが「神様」という素直な呼びかけであり、
我々は一人として一度として、罰せられた事が
ない、責められたことがない、ずっとゆるされてる、
そういう存在なんだ生命なんだ、皆そうなんだ、
白光の人であろうとなかろうと、世界人類が全部、
どんな人であっても、例えば、どんなに罪を
犯したと、この世で裁かれている人であっても、
そうじゃない人であってもね、皆光なんです。
皆光明ですから、そこでお互いを礼拝する。
尊敬する。
そこで祈る、一緒に祈る、共に祈る、一人で祈る。
一人で祈っても共に祈っても、そのひびきが
世界中をかけ巡る。
宇宙全体ひびき合う。

そういう祈りですから、その祈りに乗って
宇宙神の御心の中にふっと入っていくと、
穏やかになって気が楽になって。
そうして、本当に余分なこと、思い煩い、
そういうものはね、肩の力を抜いて、なるべく
こう受けとめていったら、本当に重荷という
ものも重くならないで軽くなっていくもんだ
というと、これは私の人間としての経験からも
申し上げることができると思うんですね。
          (つづく)